いのりのもり祈りの杜仮称

ダンマパダ「対なるものの章」

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関西パーリ語実習会 日本語訳

日本語訳の本文

対なるものの章

SC 1 諸々の法(事象)は、意を先行〔の因〕とし、意を最勝〔の因〕とし、意をもとに作られる。もし、汚れた意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、そののち、彼に、苦しみが従い行く⸺〔荷を〕運ぶ〔牛〕の足跡に、車輪が〔付き従う〕ように。

SC 2 諸々の法(事象)は、意を先行〔の因〕とし、意を最勝〔の因〕とし、意をもとに作られる。もし、清らかな意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、そののち、彼に、楽しみが従い行く⸺影が離れないように。

SC 3 「〔彼は〕わたしを罵った。〔彼は〕わたしを打った。〔彼は〕わたしに勝った。〔彼は〕わたしから奪った」〔と〕、そして、彼らが、彼を怨むなら、彼らの怨みは静まることがない。

SC 4 「〔彼は〕わたしを罵った。〔彼は〕わたしを打った。〔彼は〕わたしに勝った。〔彼は〕わたしから奪った」〔と〕、そして、彼らが、彼を怨まないなら、彼らの怨みは止み静まる。

SC 5 まさに、〔怨みにたいし〕怨みをもって〔為すなら〕、諸々の怨みは、この〔世において〕、いついかなる時も、静まることがない。しかしながら、〔怨みにたいし〕怨みなきをもって〔為すなら〕、〔諸々の怨みは〕静まる⸺これは、永遠の法(真理)である。

SC 6 しかしながら、他者たちは、〔わたしたちが滅び行く存在であることを〕識知しない。わたしたちは、ここにおいて、〔自らが滅び行く存在であることを識知して、自らを〕制するのだ。そして、彼らが、そこにおいて、〔自らが滅び行く存在であることを〕識知するなら、そののち、諸々の確執は静まる。

SC 7 浄美の随観者(不浄のものを「美しく価値がある」と見る者)として〔世に〕住んでいる者を、諸々の〔感官の〕機能( 根 )において統御されていない者を、さらに、食について量を知らない者を、怠惰で精進に劣る者を、彼を、まさに、悪魔は打ち負かす⸺風が、力の弱い木を〔倒す〕ように。

SC 8 不浄の随観者(不浄のものを「美しくなく価値がない」と見る者)として〔世に〕住んでいる者を、諸々の〔感官の〕機能において善く統御された者を、さらに、食について量を知る者を、信があり精進に励む者を、彼を、まさに、悪魔は打ち負かさない⸺風が、山の巌を〔倒そうとして倒せない〕ように。

SC 9 すなわち、無濁ならざる者が、黄褐色の衣( 袈裟 )をまとうとして、調御と真理( 諦 )から離れた者は、彼は、黄褐色〔の衣〕に値しない。

SC 10 しかしながら、すなわち、汚濁を吐き捨てた者として〔世に〕存し、諸戒において〔心が〕善く定められたなら、調御と真理を具した者は、彼は、まさに、黄褐色〔の衣〕に値する。

SC 11 真髄( 実 :真実・本質)なきものについて真髄と思い、さらに、真髄あるものについて真髄なきと見る者たち⸺誤った思惟( 邪思惟 )を境涯とする者たちは、彼らは、〔法の〕真髄に到達しない。

SC 12 しかしながら、真髄を真髄と知って、さらに、真髄なきものを真髄なきものと〔見る者たち〕⸺正しい思惟( 正思惟 )を境涯とする者たちは、彼らは、〔法の〕真髄に到達する。

SC 13 すなわち、〔屋根が〕だらしなく覆われた家に、雨が漏れ入るように、このように、修められていない心に、貪り〔の思い〕は漏れ入る。

SC 14 すなわち、〔屋根が〕しっかりと覆われた家に、雨が漏れ入らないように、このように、善く修められた心に、貪り〔の思い〕は漏れ入らない。

SC 15 悪しき〔行為〕を為す者(悪業を作る者)は、この〔世において〕憂い悲しみ、死してのち憂い悲しむ。〔すなわち〕両所において憂い悲しむ。彼は、〔この世において〕憂い悲しみ、彼は、〔死してのち〕打ちのめされる⸺自己の行為( 業 )の汚れを見て。

SC 16 善き〔行為〕を為した者(功徳を作った者)は、この〔世において〕歓喜し、死してのち歓喜する。〔すなわち〕両所において歓喜する。彼は、〔この世において〕歓喜し、彼は、〔死してのち〕大いに歓喜する⸺自己の行為の清浄を見て。

SC 17 悪しき〔行為〕を為す者は、この〔世において〕悩み苦しみ、死してのち悩み苦しむ。〔すなわち〕両所において悩み苦しむ。〔この世では〕「わたしは、悪を為した(悪業を作った)」と悩み苦しみ、〔死後は〕悪しき境遇( 悪趣 )に赴き、より一層、悩み苦しむ。

SC 18 善き〔行為〕を為した者は、この〔世において〕愉悦し、死してのち愉悦する。〔すなわち〕両所において愉悦する。〔この世では〕「わたしは、善を為した(功徳を作った)」と愉悦し、〔死後は〕善き境遇( 善趣 )に赴き、より一層、愉悦する。

SC 19 たとえ、もし、益を有する〔聖典の言葉〕を多く語るも、それを為す者と成らないなら、怠る人である。他者たちの牛を数えている牛飼いのようなものであり、沙門(修行者)の資質を分け持つ者には成らない。

SC 20 たとえ、もし、益を有する〔聖典の言葉〕を僅かに語るも、法(教え)を法(教え)のままに行なう者として〔世に〕有るなら、そして、貪欲( 貪 )を、かつまた、憤怒( 瞋 )を、迷妄( 痴 )を捨棄して、心が善く解脱した正知の者は、この〔世〕であろうと、あの〔世〕であろうと、〔両者ともに〕執取せずにいる者であり、彼は、沙門の資質を分け持つ者と成る。

対なるものの章が第一となり、〔以上で〕終了となる。

この杜による要点

本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。

対応する本文へ 心が言葉や行いに先立つ。汚れた心で語り行えば、牛の足を追う車輪のように苦しみが後に続く、と説かれる。

対応する本文へ 心が言葉や行いに先立つ。清らかな心で語り行えば、影が離れずついてくるように安らぎが続く、と説かれる。

対応する本文へ 「罵られた、打たれた、負けた、奪われた」と思い続ける人の怨みは、いつまでも静まらない。

対応する本文へ 「罵られた、打たれた、負けた、奪われた」という思いを手放す人の怨みは、やがて静まる。

対応する本文へ 怨みは怨みで返しても決して静まらない。怨みを持たないことで静まる。これは変わらない道理である。

対応する本文へ 人は自分がいずれ滅びる身だと気づかない。それに気づいて自らを抑えるとき、争いは静まる。

対応する本文へ 快楽ばかりを追い、感覚を抑えず、食の量を知らず、怠ける人は、弱い木が風に倒されるように誘惑に負ける。

対応する本文へ 不浄を観察し、感覚を抑え、食の量を知り、信と努力のある人は、岩山のように誘惑に揺るがない。

対応する本文へ 心の濁りを落とさず、自制と真実から離れたままでは、修行者の衣をまとう資格はない。

対応する本文へ 心の濁りを吐き捨て、戒を守り、自制と真実を備えた人こそ、修行者の衣にふさわしい。

対応する本文へ 本質でないものを本質と思い、本質を本質でないと見る誤った考えの人は、真の教えに至らない。

対応する本文へ 本質を本質と知り、本質でないものをそうと見抜く正しい考えの人は、真の教えに至る。

対応する本文へ 屋根のゆるい家に雨が漏れ込むように、修めていない心には貪りが入り込む。

対応する本文へ しっかり葺いた屋根に雨が漏れないように、よく修めた心には貪りが入り込まない。

対応する本文へ 悪い行いをした人は、この世でも来世でも憂え、自分の行いの汚れを見て打ちのめされる。

対応する本文へ 善い行いをした人は、この世でも来世でも喜び、自分の行いの清らかさを見てさらに喜ぶ。

対応する本文へ 悪い行いをした人は、「悪いことをした」と悩み、死後は悪い境遇に赴いてさらに苦しむ。

対応する本文へ 善い行いをした人は、「善いことをした」と喜び、死後は善い境遇に赴いてさらに喜ぶ。

対応する本文へ 教えの言葉を多く語っても、自分で行わなければ、他人の牛を数える牛飼いのように、修行者の実を得られない。

対応する本文へ 語る言葉はわずかでも、教えのとおりに行い、貪りと怒りと迷いを捨てて心が解き放たれた人は、修行者の実を得る。

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収録した訳と出典

日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全26章・423偈と、収録版の結び・摂頌を掲載。

訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。

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