いのりのもり祈りの杜仮称

祝詞・1911年刊・原本の読み

粟島神巳待祓あはしまじんみまちのはらひ

1911年刊『神道太祓大全:神拝祝詞』から。原本の万葉仮名の助詞・送り仮名を読み下し、句読点と段落を補っています。歴史的仮名遣いと、この版の字句を残しています。 冒頭の「少彦名(すくなのかん)」や「実真道(みまち)」は底本の読みに従っています。病に関する文言は当時の信仰表現として読むものです。

人津霊(ひとつみたま)少彦名(すくなのかん)夫(それ)己巳(つちのとみ)とは慎(つゝしみ)を本(もと)とする身(み)を云(い)ふ。身待(みまち)は普(あまね)く人(ひと)を祭(まつ)る事(こと)ぞ。人(ひと)は則(すなはち)万物(よろづもの)の長(をさ)なれば、是(これ)を祭(まつ)るを実真道(みまち)と云(い)ふ。然(しか)り運命良長(うんめいりやうちやう)として。薬力(やくりき)粟島(あはしま)の神慮(しんりよ)に叶(かな)ふ。

謹請再拝再拝(きんじやうさいはいさいはい)。掛麻久毛賢(かけまくもかしこ)く少彦名尊(すくなひこなのみこと)の宇津(うづ)の広前(ひろまへ)に、恐美恐美(おそれみおそれみ)申(まう)す。

抑(そもそも)巳待(みまち)の神(かみ)と申奉(まうしたてまつ)るは高皇産霊(たかみむすび)の尊(みこと)の御子(みこ)にして、一千五百柱(いつせんごひやくはしら)の末男子(すゑのみこ)、少彦名命(すくなひこなのみこと)なり。御長小(みたけちいさく)作(つくり)御座(まします)。粟(あは)を御船(みふね)として、紀州灘佐(きしうなぐさ)の郡(こほり)に着給(つきたま)ふ故(ゆゑ)に、之(これ)を粟島大明神(あはしまだいみやうじん)と祭奉(まつりたてまつ)る。

于時(ときに)大国神(だいこくじん)大己貴命(おほなむちのみこと)と力(ちから)を合(あは)せ御心一(みこゝろひとつ)にして、天下(あめがした)の蒼生人(あおひとくさ)の病(やまひ)を療治(やし)給(たま)はんと医術(くすし)の道(みち)を始給(はじめたま)ふ元祖(ぐわんそ)なり。

其巳寿永安(そのみことぶきながくやすらか)にして、孫(まご)の孫(まご)八十続(やそつゞき)まで、不絶(たえざる)事(こと)を守(まもり)給(たま)ふ神(かみ)なり。殊(ことに)父(ちゝ)は天(あめ)なり母(はゝ)は地(つち)なり、気脈氏(きみやくうぢ)を父神(ちゝのかみ)より請(うけ)、骨肉(こつにく)は母神(はゝのかみ)より受(うくる)故(ゆゑ)に土野(つちの)の身(み)とは申奉(まうしたてまつ)るなり。

今(いま)に至(いた)るまで万民(ばんみん)己我己(おのがおのれ)の病(やまひ)を此神(このかみ)へ祈(いの)り、身健(みすこやか)に福(さひはひ)を奉待(たてまつりまつ)る故(ゆゑ)、身待(みまち)の神(かみ)とは申(まう)すなり。

神力神妙(しんりきしんめう)の大祓(おほはらひ)なる功徳(くどく)を厚(あつ)く敬(うやま)ひ深(ふか)く信(しん)じて、病難奇難(びやうなんきなん)を祓除(はらひのぞ)き、子孫長久(しそんちやうきう)、常磐堅磐(ときはかきは)に守護福(まもりさいはひ)給(たま)へと、謹美(つゝしみ)恐美恐美(おそれみおそれみ)申(まう)す。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション、保護期間満了(PDM)。現代刊の『神道大祓全集』とは別の資料です。

ゆかりの神仏

出典・参考資料