いのりのもり祈りの杜仮称

ダンマパダ「雑駁なるものの章」

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関西パーリ語実習会 日本語訳

日本語訳の本文

雑駁なるものの章

SC 290 もし、少量なる安楽を完全に捨て去ることから、広大なる安楽を見ることになるなら、慧者は、少量なる安楽を捨て去るであろう⸺広大なる安楽を〔常に〕正しく見ている者として。

SC 291 他者に苦痛を与えることで、自己の安楽を求める、怨み〔の思い〕と持ちつ持たれつの者⸺彼は、怨み〔の思い〕から完全に解き放たれない。

SC 292 まさに、その、為すべきことが捨てられ、いっぽうで、為すべきではないことが為されるなら、傲慢で〔気づきを〕怠る彼らの、諸々の煩悩は増え行く。

SC 293 しかしながら、彼らに、常に、身体の在り方についての気づき( 身至念 :時々刻々の身体の状態についての気づき)があり、善く努め励むところとなるなら、彼らは、〔もはや〕為すべきではないことに慣れ親しまず、諸々の為すべきことを常に為す者たちとなる。気づきと正知の者たちの、諸々の煩悩は〔自ずと〕滅却に至る。

SC 294 母(渇愛)と父(「わたしは存在する」という思量)を打ち砕いて、そして、二者の士族の王(常住論と断滅論)を〔打ち砕いて〕、国土(認識作用と認識対象)を従者(喜びと貪り)と共に打ち砕いて、煩悶なき婆羅門は行く。

SC 295 母(渇愛)と父(「わたしは存在する」という思量)を打ち砕いて、そして、二者の聞経者(婆羅門)の王(常住論と断滅論)を〔打ち砕いて〕、第五のものたる虎(疑惑の思い)を打ち砕いて、煩悶なき婆羅門は行く。

SC 296 ゴータマの弟子たちは、善く目覚めた〔状態〕に、常に目覚めている。彼らには、そして、昼に、さらに、夜に、常に、覚者( 仏 :ブッダ)の在り方についての気づきがある。

SC 297 ゴータマの弟子たちは、善く目覚めた〔状態〕に、常に目覚めている。彼らには、そして、昼に、さらに、夜に、常に、法( 法 :ダンマ)の在り方についての気づきがある。

SC 298 ゴータマの弟子たちは、善く目覚めた〔状態〕に、常に目覚めている。彼らには、そして、昼に、さらに、夜に、常に、僧団( 僧 :サンガ)の在り方についての気づきがある。

SC 299 ゴータマの弟子たちは、善く目覚めた〔状態〕に、常に目覚めている。彼らには、そして、昼に、さらに、夜に、常に、身体の在り方についての気づきがある。

SC 300 ゴータマの弟子たちは、善く目覚めた〔状態〕に、常に目覚めている。彼らには、そして、昼に、さらに、夜に、不害〔の実践〕に喜びの意がある。

SC 301 ゴータマの弟子たちは、善く目覚めた〔状態〕に、常に目覚めている。彼らには、そして、昼に、さらに、夜に、修行〔の実践〕に喜びの意がある。

SC 302 出家は〔為し〕難く、〔出家の生活は〕喜び難きもの。在家〔の生活〕は居住し難く、苦しきもの。同輩との共住は苦しく、苦しみに出会うのが旅行く者(遊行者)。それゆえに、かつまた、旅行く者として存さず、かつまた、苦しみに出会う者として存さぬもの。

SC 303 信ある者となり、戒を成就した者となり、福徳と財物を授与された者は、〔彼が〕親しくする、その〔地域〕その地域で、まさしく、そこかしこで、供養される者となる。

SC 304 正しくある者たちは、遠くにあるも知れわたる⸺ヒマヴァント(ヒマラヤ)の山嶺のように。正しからざる者たちは、この場にあるも見られない⸺あたかも、夜に放たれた諸々の矢のように。

SC 305 独り坐し、独り臥し、独り、休みなく歩み、独り、自己を調御しながら、林の外れで喜びある者として存するがよい。

雑駁なるものの章が第二十一となり、〔以上で〕終了となる。

この杜による要点

本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。

対応する本文へ 小さな安楽を捨てることで大きな安楽が見えるなら、賢い人は大きな安楽を見据えて小さな安楽を捨てる。

対応する本文へ 他人を苦しめて自分の安楽を求める人は、怨みと絡み合い、怨みから抜け出せない。

対応する本文へ なすべきことを捨て、なすべきでないことをする、傲慢で怠った人々の煩悩は増えていく。

対応する本文へ 常に身体のありさまに気づき、よく励む人は、なすべきでないことに親しまず、なすべきことを行う。気づきと正しい理解のある人の煩悩は消えていく。

対応する本文へ 渇愛という母と慢心という父を打ち砕き、常住と断滅という二つの見解の王を砕き、認識とその対象という国土を従者ごと砕いて、聖者は悩みなく行く。

対応する本文へ 渇愛という母と慢心という父を打ち砕き、二つの見解の王を砕き、疑いという虎を砕いて、聖者は悩みなく行く。

対応する本文へ ゴータマの弟子は常によく目覚めている。昼も夜も、仏のありさまへの気づきがある。

対応する本文へ ゴータマの弟子は常によく目覚めている。昼も夜も、教えのありさまへの気づきがある。

対応する本文へ ゴータマの弟子は常によく目覚めている。昼も夜も、修行の仲間のありさまへの気づきがある。

対応する本文へ ゴータマの弟子は常によく目覚めている。昼も夜も、身体のありさまへの気づきがある。

対応する本文へ ゴータマの弟子は常によく目覚めている。昼も夜も、害さないことを心から喜んでいる。

対応する本文へ ゴータマの弟子は常によく目覚めている。昼も夜も、修行の実践を心から喜んでいる。

対応する本文へ 出家は難しく、その生活は楽しみにくい。在家の暮らしは住みにくく苦しい。合わない相手との同居は苦しく、さまよう人は苦しみに出会う。だからさまよわず、苦しみに出会わない人であれ。

対応する本文へ 信を持ち、戒を備え、名声と財に恵まれた人は、どの土地へ行っても敬われる、と説かれる。

対応する本文へ 正しい人は遠くにいてもヒマラヤの峰のように知られる。正しくない人は目の前にいても、夜に放たれた矢のように見えない。

対応する本文へ 独り坐り、独り臥し、独り休まず歩み、独り自分を調えて、林のはずれで喜びのうちにいる。

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収録した訳と出典

日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全26章・423偈と、収録版の結び・摂頌を掲載。

訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。

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