いのりのもり祈りの杜仮称

スッタニパータ「サビヤの経」

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関西パーリ語実習会 日本語訳

日本語訳の本文

3.6. サビヤの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ラージャガハに住んでおられます。ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパ(竹林精舎)において。また、まさに、その時点にあって、サビヤ遍歴遊行者の過去〔世〕の血縁者である天神によって指定された諸々の問いが有ります。「サビヤよ、すなわち、あるいは、沙門が、あるいは、婆羅門が、あなたによって、これらの問いを尋ねられ、〔答えを〕説き明かすなら、彼の現前において、〔あなたは〕梵行を歩むがよい」と。

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者は、その天神の現前において、それらの問いを収め取って、すなわち、僧団をもち、衆徒をもち、衆徒の師匠として知られ、盛名ある教祖として、多くの人々に善く敬われている、それらの沙門や婆羅門たちであるなら⸺それは、すなわち、この、プーラナ・カッサパであり、マッカリ・ゴーサーラであり、アジタ・ケーサカンバラであり、パクダ・カッチャーナであり、サンチャヤ・ベーラッタプッタであり、ニガンタ・ナータプッタですが⸺彼らに、近づいて行って、それらの問いを尋ねます。彼らは、サビヤ遍歴遊行者によって、諸々の問いを尋ねられ、解答できません。解答できずにいながら、そして、激情を、かつまた、憤怒を、さらに、不興を、明らかと為します。そして、また、まさしく、サビヤ遍歴遊行者に問い返します。

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者に、この〔思い〕が有りました。「すなわち、僧団をもち、衆徒をもち、衆徒の師匠として知られ、盛名ある教祖として、多くの人々に善く敬われている、まさに、それらの尊き沙門や婆羅門たちは⸺それは、すなわち、この、プーラナ・カッサパ……略……ニガンタ・ナータプッタであるが⸺彼らは、わたしによって、諸々の問いを尋ねられ、解答できない。解答できずにいながら、そして、激情を、かつまた、憤怒を、さらに、不興を、明らかと為す。そして、また、ここにおいて、まさしく、わたしに問い返す。それなら、さあ、わたしは、下劣なところへと逆戻りして(還俗して)、諸々の欲望〔対象〕を遍く受益するのだ」と。

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者に、この〔思い〕が有りました。「まさに、沙門ゴータマは、この者もまた、まさしく、そして、僧団をもち、さらに、衆をもち、かつまた、衆の師匠として知られ、盛名ある教祖として、多くの人々に善く敬われている。それなら、さあ、わたしは、近づいて行って、沙門ゴータマに、これらの問いを尋ねるのだ」と。

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者に、この〔思い〕が有りました。「すなわち、また、老い朽ち、年長となり、老練にして、歳月を重ね、年齢を加えた、長老たちにして、経験あり、長きにわたり出家し、僧団をもち、衆徒をもち、衆徒の師匠として知られ、盛名ある教祖として、多くの人々に善く敬われている、まさに、それらの尊き沙門や婆羅門たちも⸺それは、すなわち、この、プーラナ・カッサパ……略……ニガンタ・ナータプッタであるが⸺彼らもまた、わたしによって、諸々の問いを尋ねられ、解答できない。解答できずにいながら、そして、激情を、かつまた、憤怒を、さらに、不興を、明らかと為す。そして、また、ここにおいて、まさしく、わたしに問い返す。また、どうであろう、沙門ゴータマは、わたしによって、これらの問いを尋ねられ、〔答えを〕説き明かすであろうか。なぜなら、沙門ゴータマは、まさしく、そして、生まれとしては青年であり、さらに、出家としても新参者であるからだ」と。

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者に、この〔思い〕が有りました。「『まさに、青年の沙門である』と、見下すべきではなく、貶めるべきではない。そして、たとえ、青年であるも、沙門ゴータマは、この者は、大いなる神通ある者として、大いなる威力ある者として、〔世に〕有る。それなら、さあ、わたしは、近づいて行って、沙門ゴータマに、これらの問いを尋ねるのだ」と。

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者は、ラージャガハのあるところに、そこへと遊行〔の旅〕に出ました。順次に遊行〔の旅〕を歩みながら、ラージャガハの、ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパのあるところに、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、サビヤ遍歴遊行者は、世尊に、詩偈をもって語りかけました。

偈 510かくのごとく、サビヤが〔言った〕「疑いある者として、疑惑ある者として、〔わたしは〕やってきました。諸々の問いを尋ねることを待ち望んでいる者です。〔あなたは〕それら〔の問い〕の終極を為す者と成ってください。〔あなたは〕諸々の問いをわたしに尋ねられた者として、順次に、法(真理)のままに、わたしに説き明かしてください」〔と〕。(1)

偈 511かくのごとく、世尊は〔言った〕「サビヤよ、〔あなたは〕遠くからやってきた者として存しています。諸々の問いを尋ねることを待ち望んでいる者です。〔わたしは〕それら〔の問い〕の終極を為す者と成りましょう。〔わたしは〕諸々の問いをあなたに尋ねられた者として、順次に、法(真理)のままに、あなたに説き明かしましょう。(2)

偈 512サビヤよ、わたしに、問いを尋ねなさい。それが何であれ、〔あなたが〕意によって求めるなら。わたしは、あなたの、まさしく、その〔問い〕その問いの、終極を為しましょう」〔と〕。(3)

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者に、この〔思い〕が有りました。「ああ、まさに、めったにないことだ。ああ、まさに、はじめてのことだ。すなわち、まさに、わたしは、他の沙門や婆羅門たちにおいては、〔問いを尋ねる〕行為の機会すらもまた得なかったのに、それが、沙門ゴータマによって、わたしのために、〔まさに〕この、〔問いを尋ねる〕行為の機会が作り為されたのだ」と。〔サビヤ遍歴遊行者は〕わが意を得た者となり、歓喜した者となり、勇躍する者となり、喜悦と悦意が生じた者となり、世尊に、問いを尋ねました。

偈 513かくのごとく、サビヤが〔尋ねた〕「何に至り得る者を、『比丘』と言うのですか。何によって、『温和なる者』と〔言うのですか〕。そして、どのように、『調御された者』と言うのですか。どのように、『覚者』と呼ばれるのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き明かしてください」〔と〕。(4)

偈 514かくのごとく、世尊は〔答えた〕「サビヤよ、自己みずから為した〔実践の〕道によって、完全なる涅槃に至り、疑いを超えた者⸺かつまた、虚無(非有:無)を、かつまた、実体(有:存在)を、〔両者ともに〕捨棄して、さらなる生存(再有)が滅尽した、〔梵行の〕完成者⸺彼は、『比丘』〔と呼ばれます〕。(5)

偈 515一切所において、〔愛憎の思いを〕放捨し、気づきある者⸺彼は、一切の世において、誰であれ害しません⸺〔激流を〕超えた、〔心に〕濁りなき沙門⸺彼に、〔貪りや怒りなどの〕諸々の増長〔の思い〕が存在しないなら、彼は、『温和なる者』〔と呼ばれます〕。(6)

偈 516彼の、諸々の〔感官の〕機能が、内に、さらに、外に、一切の世において修められたなら⸺この〔世〕を、さらに、他の世を、〔あるがままに〕洞察して、〔自己を〕修めた者となり、〔死の〕時を待ちます⸺彼は、『調御された者』〔と呼ばれます〕。(7)

偈 517輪廻を、死滅と再生の両者を⸺〔時間の〕妄想(時間の型枠・分別妄想・輪廻的あり方)の全部を〔あるがままに〕弁別して、〔世俗の〕塵を離れ去り、穢れなく、清浄なる者を、生の滅尽に至り得た者を、彼を、『覚者』と言います」と。(8)

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者は、世尊の語ったことを大いに喜んで、随喜して、わが意を得た者となり、歓喜した者となり、勇躍する者となり、喜悦と悦意が生じた者となり、世尊に、さらなる問いを尋ねました。

偈 518かくのごとく、サビヤが〔尋ねた〕「何に至り得る者を、『婆羅門』と言うのですか。何によって、『沙門』と〔言うのですか〕。そして、どのように、『沐浴者』と〔呼ばれるのですか〕。どのように、『龍』と呼ばれるのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き明かしてください」〔と〕。(9)

偈 519かくのごとく、世尊は〔答えた〕「サビヤよ、一切の悪しき〔行為〕を拒否して、〔世俗の〕垢を離れ、〔心が〕善くしっかりと定められ、自己を安立した者⸺彼は、輪廻を超え行って、全一者となります⸺〔何にも〕依存しない、如なる者⸺彼は、『梵(婆羅門)』〔と〕呼ばれます。(10)

偈 520〔心が〕静まった者となり、善と悪を捨棄して、〔世俗の〕塵を離れる者となり、この〔世〕を、さらに、他の世を、〔あるがままに〕知って、生と死を超克した者⸺真実なることから、如なる者は、『沙門』〔と〕呼ばれます。(11)

偈 521一切の悪しき〔行為〕を、内に、さらに、外に、一切の世において洗い清めて(沐浴して)、〔時間の〕妄想ある天〔の神々〕と人間たちのなかにいながら、〔時間の〕妄想に至りません(輪廻しない・妄想しない)⸺彼を、『沐浴者』と言います。(12)

偈 522世において、何であれ、罪悪を作らず、一切の束縛を捨て去って、〔一切の〕結縛を〔捨て去って〕、一切所において執着しない、解脱者⸺真実なることから、如なる者は、『龍』〔と〕呼ばれます」と。(13)

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者は……略……世尊に、さらなる問いを尋ねました。

偈 523かくのごとく、サビヤが〔尋ねた〕「覚者たちは、誰を、『田畑の勝者』と説くのですか。何によって、『智者』と〔言うのですか〕。そして、どのように、『賢者』と〔呼ばれるのですか〕。どのように、『牟尼』という名で呼ばれるのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き明かしてください」〔と〕。(14)

偈 524かくのごとく、世尊は〔答えた〕「サビヤよ、天の〔田畑〕を、さらに、人間の〔田畑〕を、梵の田畑を⸺田畑の全部(認識の領域・行為のあり方)を〔あるがままに〕弁別して、一切の田畑の根元の結縛から解き放たれた者⸺真実なることから、如なる者は、『田畑の勝者』〔と〕呼ばれます。(15)

偈 525天の〔蔵〕を、さらに、人間の〔蔵〕を、梵の蔵を⸺蔵の全部(認識の領域・行為のあり方)を〔あるがままに〕弁別して、一切の蔵の根元の結縛から解き放たれた者⸺真実なることから、如なる者は、『智者』〔と〕呼ばれます。(16)

偈 526内に、さらに、外に、両者の白きもの(内外の認識の領域・十二処)を〔あるがままに〕弁別して、清浄の智慧ある者となり、黒と白(悪業と善業)を超克した者⸺真実なることから、如なる者は、『賢者』〔と〕呼ばれます。(17)

偈 527かつまた、正しからざる者たちの、かつまた、正しくある者たちの、〔両者の〕法(性質)を、内に、さらに、外に、一切の世において〔あるがままに〕知って、天〔の神々〕と人間たちに供養されるべき者⸺彼は、執着の網を超え行って、『牟尼』〔と呼ばれます〕」と。(18)

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者は……略……世尊に、さらなる問いを尋ねました。

偈 528かくのごとく、サビヤが〔尋ねた〕「何に至り得る者を、『〔真の〕知に至る者』と言うのですか。何によって、『随知者』と〔言うのですか〕。そして、どのように、『精進ある者』と〔呼ばれるのですか〕。どのようなことで、『善き生まれの者』という名と成るのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き明かしてください」〔と〕。(19)

偈 529かくのごとく、世尊は〔答えた〕「サビヤよ、この〔世において〕、それら〔の知〕が、沙門たちのものとして存しようが、婆羅門たちのものとして〔存しようが〕、知の全部を〔あるがままに〕弁別して、一切の感受(受:楽苦の知覚)について貪欲を離れた者⸺彼は、一切の知を超え行って、『〔真の〕知に至る者』〔と呼ばれます〕。(20)

偈 530名前と形態(名色:現象世界)という虚構(戯論:分別妄想)を〔あるがままに〕随知して、内に、さらに、外に、病の根元を〔あるがままに随知して〕、一切の病の根元の結縛から解き放たれた者⸺真実なることから、如なる者は、『随知者』〔と〕呼ばれます。(21)

偈 531この〔世において〕、一切の悪しき〔行為〕から離れた者⸺地獄の苦しみを超え行って、精進を住居とする者⸺彼は、精進ある者であり、精励ある者であり、真実なることから、如なる者は、『慧者』〔と〕呼ばれます。(22)

偈 532彼の、まさに、諸々の結縛が刈り取られ、内に、さらに、外に、執着の根元が〔刈り取られ〕、一切の執着の根元の結縛から解き放たれた者⸺真実なることから、如なる者は、『善き生まれの者』〔と〕呼ばれます」と。(23)

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者は……略……世尊に、さらなる問いを尋ねました。

偈 533かくのごとく、サビヤが〔尋ねた〕「何に至り得る者を、『聞経者(婆羅門)』と言うのですか。何によって、『聖者』と〔言うのですか〕。そして、どのように、『行ないある者』と〔呼ばれるのですか〕。どのようなことで、『遍歴遊行者』という名と成るのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き明かしてください」〔と〕。(24)

偈 534かくのごとく、世尊は〔答えた〕「サビヤよ、〔覚者の教えを〕聞いて、世における一切の法(事象)を証知して⸺それが何であれ、〔世に〕存するもので、罪を有するものと罪なきものを〔証知して〕⸺〔それらを〕征服した懐疑なき解脱者を、一切所に煩悶なき者を、『聞経者(婆羅門)』と言います。(25)

偈 535諸々の煩悩(漏)を断ち切って、諸々の〔生存の〕基底(阿頼耶:執着)を〔断ち切って〕、知ある者は、彼は、胎に臥す〔境遇〕に近づきません(再生せず解脱する)⸺三種類の表象(想:欲望の表象・憎悪の表象・悩害の表象)を除いて、〔欲望の〕の汚泥(欲望の対象)を〔除いて〕、〔時間の〕妄想に至りません(輪廻しない・妄想しない)⸺彼を、『聖者』と言います。(26)

偈 536彼が、この〔世において〕、諸々の行ないについて至り得るべきものに至り得た者となり、智者として、一切時に法(真理)を了知するなら⸺心が解脱した者となり、一切所において執着せず、彼に、諸々の敵対〔の思い〕が存在しないなら⸺彼は、『行ないある者』〔と呼ばれます〕。(27)

偈 537上に、下に、あるいは、また、横に、〔その〕中間において、その行為(業)が、苦なる報いあるものとして存するなら、〔それを〕遍く避けて、遍知して歩む者⸺幻惑〔の策略〕を、〔我想の〕思量を、さらに、また、貪欲〔の思い〕と忿激〔の思い〕を、〔それらを遍く避けて、遍知して歩む者〕⸺名前と形態(名色:現象世界)の完全なる終極を為した、至り得るべきものに至り得た者を、彼を、『遍歴遊行者』と言います」と。(28)

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者は、世尊の語ったことを大いに喜んで、随喜して、わが意を得た者となり、歓喜した者となり、勇躍する者となり、喜悦と悦意が生じた者となり、坐から立ち上がって、一つの肩に上衣を掛けて、世尊のおられるところに、そこへと合掌を手向けて、世尊を、〔その〕面前で、諸々の適切なる詩偈をもって奉賛しました。

偈 538〔遍歴遊行者サビヤが言った〕「広き智慧ある方よ、諸々の沙門の論争に依存したものとして、そして、それらの六十〔の異説〕があり、さらに、それらの三つ〔の異説〕があります(梵網経に説かれる六十二見と有身見)。表象と文字に〔依存したものでもあり、転倒した〕表象に依存したものでもある、〔それらの六十三の〕異説を取り除いて、〔あなたは〕激流と闇を〔超えて〕去り行きました。(29)

偈 539〔あなたは〕苦しみの終極に至る方として、彼岸に至る方として、〔世に〕存しています。〔あなたは〕阿羅漢(人格完成者)として、正等覚者として、〔世に〕存しています。あなたのことを、煩悩が滅尽した方と、〔わたしは〕思います。苦しみの終極を為す方よ、〔あなたは〕光輝ある方として、思慧ある方として、多大なる智慧ある方として、わたしを超え渡してくれました。(30)

偈 540〔まさに〕その、わたしが疑ってきたことを、〔あなたは〕了知しておられました。〔その〕疑惑から、わたしを超え渡してくれました。あなたに、礼拝〔有れ〕。牟尼よ、諸々の寂黙の道において至り得るべきものに至り得た方よ、〔心に〕鬱積なき方よ、太陽の眷属よ、〔あなたは〕温和なる方として〔世に〕存しています。(31)

偈 541〔まさに〕その、かつて存した、わたしの疑いですが、眼ある方よ、それを、〔あなたは〕わたしに説き明かしてくれました。たしかに、〔あなたは〕牟尼として、正覚者として、〔世に〕存しています。あなたに、諸々の妨害(蓋)は存在しません。(32)

偈 542そして、あなたの、一切の葛藤は、砕破され、分断されました。〔心が〕清涼と成った方です。〔心身の〕調御に至り得た方です。〔道心〕堅固の方です。真の勤勉〔努力〕ある方です。(33)

偈 543龍のなかの龍たる方に、〔常に真理を〕語る偉大なる勇者に、〔まさに〕その、あなたに、全ての天〔の神々〕たちが随喜します⸺ナーラダとパッバタ〔の神々たち〕も、両者ともに。(34)

偈 544善き生まれの人士よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。天を含む世において、あなたに対する人は存在しません。(35)

偈 545あなたは、覚者です。あなたは、教師です。あなたは、悪魔を征服する牟尼です。あなたは、諸々の悪習(随眠:潜在煩悩)を断ち切って、〔激流を〕超えた者として、この〔世の〕人々を〔彼岸へと〕超え渡します。(36)

偈 546あなたの、諸々の〔生存の〕依り所(依存の対象)は超え行かれました。あなたの、諸々の煩悩は破り去られました。〔あなたは〕獅子として、執取〔の思い〕なき方として、〔あらゆる〕恐怖と恐ろしさを捨棄した方として、〔世に〕存しています。(37)

偈 547あたかも、麗しき白蓮が、〔汚〕水のなかにありながら、汚されることがないように、このように、あなたは、かつまた、善(功徳)についても、かつまた、悪(功徳なきもの)についても、〔その〕両者に汚されません。勇者よ、〔両の〕足を差し出したまえ。サビヤは、教師を敬拝します」〔と〕。ということで⸺(38)

そこで、まさに、サビヤ遍歴遊行者は、世尊の〔両の〕足に、頭をもって平伏して、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、すばらしいことです。……略……。〔まさに〕この、わたしは、世尊を帰依所に赴きます⸺そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を(仏法僧の三宝に帰依する)。尊き方よ、わたしが、世尊の現前において、出家を得られますように⸺〔戒の〕成就を得られますように」と。

「サビヤよ、すなわち、まさに、〔教えを〕他にする異教の過去ある者が、この法(教え)と律において、出家を望み、〔戒の〕成就を望むなら、彼は、四月のあいだ別住します(試験期間を設ける)。四月が経過して、勉励心ある比丘たちが、〔彼を〕出家させ、比丘の状態となるために、〔戒を〕成就させます。しかしながら、また、ここにおいて、人によって相違あることが、わたしによって見出されました(あなたは例外である)」と。

「尊き方よ、それで、もし、〔教えを〕他にする異教の過去ある者たちが、この法(教え)と律において、出家を望み、〔戒の〕成就を望みながら、四月のあいだ別住し、四月が経過して、勉励心ある比丘たちが、〔彼らを〕出家させ、比丘の状態となるために、〔戒を〕成就させるなら(そのような決まりがあるなら)、わたしは、四年のあいだ別住します。四年が経過して、勉励心ある比丘たちが、〔わたしを〕出家させたまえ、比丘の状態となるために、〔戒を〕成就させたまえ」と。まさに、サビヤ遍歴遊行者は、世尊の現前において、出家を得ました⸺〔戒の〕成就を得ました。……略……。また、まさに、尊者サビヤは、阿羅漢たちのなかの或るひとりと成りました。ということで⸺

サビヤの経が第六となり、〔以上で〕終了となる。

この杜による要点

本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。

対応する本文へ サビヤは言った。疑いを抱いて私はやってきました。問いを尋ねたいのです。その問いを終わらせる方となってください。私の問いに、順を追って真理のままに答えてください、と。

対応する本文へ ブッダは言った。サビヤよ、あなたは遠くから問いを携えてやってきた。私がその問いを終わらせよう。順を追って真理のままに答えよう。

対応する本文へ サビヤよ、心に望むことは何でも尋ねなさい。私はそのひとつひとつの問いを終わらせよう、と。

対応する本文へ サビヤが尋ねた。何に至った人を修行者と言うのですか。何によって温和な人と言うのですか。どのように調えられた人と言い、どのように覚者と呼ばれるのですか、と。

対応する本文へ ブッダは答える。自ら歩んだ道によって完全な安らぎに至り、疑いを越え、生存や消滅への執着を捨て、次の生を終えた完成者を修行者という。

対応する本文へ すべてに対して平静で、気づきがあり、世の誰も害さず、激流を越え、心に濁りのない修行者。貪りや怒りの増長がない人を、温和な人と言う。

対応する本文へ 内にも外にも、全世界に対して感覚を修め、この世とあの世を見通し、自分を修めて死の時を待つ人を、調えられた人と言う。

対応する本文へ 輪廻の死と再生の両方、あらゆる時間の妄想を見分け、塵を離れ、穢れなく清らかで、生の尽きるところに至った人を、覚者と言う。

対応する本文へ サビヤは尋ねる。何を成し遂げた人を真のバラモン、修行者、沐浴した人、龍のように偉大な人と呼ぶのですか、と。

対応する本文へ ブッダは答える。悪を退け、清らかで心が定まり、揺るがず、輪廻を越えて完成し、執着しない人を真のバラモンと呼ぶ、と。

対応する本文へ 心が静まり、善悪へのこだわりを捨て、塵を離れ、この世とあの世を知って生と死を越えた人を、その真実のゆえに修行者と呼ぶ。

対応する本文へ 内にも外にも、全世界においてすべての悪を洗い清め、時間の妄想にとらわれた神々や人間の中にいながら妄想に至らない人を、沐浴した人と言う。

対応する本文へ 罪を犯さず、あらゆる束縛を捨て、どこにも執着しない解脱者を、龍にたとえられる偉大な人と呼ぶ。

対応する本文へ サビヤが尋ねた。覚者は誰を田畑の勝者と説くのですか。何によって智者と言い、どのように賢者と呼ばれ、どのように聖者と呼ばれるのですか、と。

対応する本文へ ブッダは答えた。天と人間と梵天の田畑、あらゆる認識の領域を見分け、すべての田畑の根の束縛から解き放たれた人を、その真実のゆえに田畑の勝者と呼ぶ。

対応する本文へ 天と人間と梵天の蔵、あらゆる認識の領域を見分け、すべての蔵の根の束縛から解き放たれた人を、その真実のゆえに智者と呼ぶ。

対応する本文へ 内と外の認識の領域を見分け、清らかな智慧を持ち、黒と白、悪と善を越えた人を、その真実のゆえに賢者と呼ぶ。

対応する本文へ 正しくない人と正しい人の性質を、内にも外にも全世界において知り、神々と人間に供養されるべき人は、執着の網を越えて、聖者と呼ばれる。

対応する本文へ サビヤは尋ねる。何を成し遂げれば真の知に至った人、知り尽くした人、努力ある人、気高い人と呼ばれるのですか、と。

対応する本文へ ブッダは答えた。修行者や聖職者の知のすべてを見分け、あらゆる感受への貪りを離れた人は、すべての知を越えて、真の知に至った人と呼ばれる。

対応する本文へ 内にも外にも、思いの増殖と心身を調べて苦しみの根を知り、その根の束縛から解き放たれた人を、知り尽くした人と呼ぶ。

対応する本文へ この世であらゆる悪から離れ、地獄の苦しみを越え、努力を住まいとする人は、努力ある人、励む人であり、その真実のゆえに賢者と呼ばれる。

対応する本文へ 内にも外にも、執着の根と束縛を断ち、あらゆる執着から解き放たれた人を、気高い人と呼ぶ。

対応する本文へ サビヤが尋ねた。何に至った人を聖典に通じた人と言うのですか。何によって聖なる人と言い、どのように行いある人と呼ばれ、どのように遊行者と呼ばれるのですか、と。

対応する本文へ ブッダは答えた。教えを聞いて世のすべての事象を知り、罪あるものも罪なきものも知り、それらに打ち勝ち、疑いなく解き放たれ、どこにも悩みのない人を、聖典に通じた人と言う。

対応する本文へ 煩悩と執着の根を断ち、知ある人は母の胎に近づかない。欲望・憎悪・悩害の三つの思いと欲望の泥を除き、妄想に至らない人を、聖なる人と言う。

対応する本文へ 行いにおいて至るべき所に至り、智者として常に真理を知り、心が解き放たれ、どこにも執着せず、敵意のない人を、行いある人と言う。

対応する本文へ 苦を招く行いも、欺き・慢心・貪り・怒りも退け、よく理解して歩み、心身の生存に終わりをもたらした人を、目的に達した遊行者と呼ぶ。

対応する本文へ 遊行者サビヤは言った。広い智慧の方よ、修行者たちの論争に基づく六十三の異説を、言葉と思いの転倒に基づくものとして取り除き、あなたは激流と闇を越えて行かれました。

対応する本文へ あなたは苦しみの終わりに至り、向こう岸に至った人格完成者、正しく目覚めた方です。煩悩の尽きた方と思います。光り輝き、思慮深く、大いなる智慧をもって、私を渡してくださいました。

対応する本文へ 私の疑いを知り、その疑いから渡してくださいました。礼拝します。静けさの道を極め、わだかまりのない太陽の末裔よ、あなたは温和な方です。

対応する本文へ 眼ある方よ、私にあった疑いを説き明かしてくださいました。あなたは確かに聖者であり、正しく目覚めた方です。あなたに修行を妨げるものはありません。

対応する本文へ あなたのあらゆる葛藤は砕かれ、断ち切られました。心が涼しくなり、調えられ、志が固く、真の努力のある方です。

対応する本文へ 龍の中の龍ともいうべき偉大な勇者よ、あなたが語るとき、ナーラダとパッバタも、すべての神々も喜びます。

対応する本文へ 気高い人よ、礼拝します。最上の人よ、礼拝します。神々を含む世に、あなたに並ぶ人はいません。

対応する本文へ あなたは覚者、師、悪魔に勝つ聖者です。潜んでいる煩悩を断ち、激流を越え、この世の人々を向こう岸へ渡します。

対応する本文へ 生存の拠り所を越え、煩悩を破り去り、獅子のように、執着なく、あらゆる恐れを捨てた方です。

対応する本文へ 美しい白蓮に水が付着しないように、あなたには善も悪も付着しません。勇者よ、足を差し出してください。サビヤは師に礼拝します。

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収録した訳と出典

日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。

訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。

公開元の日本語訳 · CC BY-NC-ND 3.0(表示・非営利・改変禁止)