スッタニパータ「矢の経」
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日本語訳の本文
3.8. 矢の経
vns579偈 574この〔世において〕、死すべき者(人間)たちの生命は、無相にして、了知されることなく、かつまた、困難で、かつまた、微小で、そして、それは、苦によって束縛されている。(1)
vns580偈 575それによって、〔世に〕生まれた者たちが死なずにすむ、まさに、その方策は存在しない。老に至り得てもまた、死がある。まさに、このような法(性質)あるのが、命あるものたちである。(2)
vns581偈 576熟した諸果には、早く落ちるがゆえの恐れがあるように、このように、死すべき者として生まれた者たちには、常に、死ゆえの恐れがある。(3)
vns582偈 577たとえば、また、陶工の作った諸々の土器が、〔それらの〕全てが、破壊を結末とするように、このように、死すべき者たちの生命はある。(4)
vns583偈 578かつまた、青年たちも、かつまた、大人たちも、彼らが愚者たちであれ、そして、彼らが賢者たちであれ⸺全ての者たちが、死魔の支配に至り行く⸺全ての者たちが、死魔〔の支配〕を行き着く所とする。(5)
vns584偈 579死魔に打ち負かされた彼らが〔他の世に〕赴きつつあるとして、他の世からは、父が子を救うことはなく、また、あるいは、親族たちが親族たちを〔救うこともない〕。(6)
vns585偈 580見よ⸺〔死に行く者を〕見ているだけの親族たちを、個々に泣き叫んでいる〔親族〕たちを。死すべき者たちの、まさしく、一者一者が、屠殺される牛のように、〔死へと〕導かれる。(7)
vns586偈 581このように、世〔の人々〕は、そして、死魔によって、さらに、老によって、悩み苦しめられている。それゆえに、慧者たちは、世〔の人々〕の行く末を〔あるがままに〕知って、憂い悲しまない。(8)
vns587偈 582来た者の、あるいは、去った者の⸺彼の道を、〔あなたは〕知らない。〔生と死の〕両極を正しく見ずに、〔あなたは〕義(意味)なく、嘆き悲しむ。(9)
vns588偈 583もし、嘆き悲しんでいる者が、〔嘆き悲しむことで〕何らかの義(利益)を引き出すなら、そして、明眼の者は、これ(嘆き悲しむこと)を為すであろう⸺等しく迷乱した者となり、自己を害しながらも。(10)
vns589偈 584まさに、泣き悲しむことで、憂い悲しむことで、心の寂静に至り得ることはない。まさに、より一層、苦が生起し、そして、肉体が打ちのめされる。(11)
vns590偈 585自己によって自己を害しつつ、痩せ細り色艶の衰えた者と成るも、それによって、亡者たちがどうにかなることはない。嘆き悲しむことは、義(利益)なきこと。(12)
vns591偈 586憂い悲しみを捨棄せずにいる人は、より一層、苦を受ける。命の終わりを泣き悲しんでいる者は、憂い悲しみの支配に従い行く者である。(13)
vns592偈 587〔他の世へと〕去り行く、他の者たちをもまた、見よ⸺〔自己の作り為した〕行為のままに、〔他の世へと〕近しく赴く人たちを。死魔の支配に帰り来て、この〔世において〕、まさしく、震えおののいている、命あるものたちを〔見よ〕。(14)
vns593偈 588まさに、あれやこれや思い考えるも、〔現実の〕それは、〔常に〕その〔思い〕とは他なるものと成る。見よ⸺世〔の人々〕の行く末を。このように、変じ異なる状態がある〔だけのこと〕。(15)
vns594偈 589たとえ、百年のあいだ、生きるとして、また、あるいは、若くある者が、より一層〔生きるとして〕、親族たちの群れとは別れ別れに成り、この〔世において〕、生命を捨棄する。(16)
vns595偈 590それゆえに、阿羅漢の〔教えを〕聞いて、嘆き悲しみ〔の思い〕を取り除くがよい。命を終えた亡者を見て、「この者は、わたし〔の力〕では、〔もはや、どうにも〕できない」と。(17)
vns596偈 591あたかも、燃える家を水で消し止めるように、このように、また、慧者にして智慧を有する者は、賢者にして智者たる人は、生起した憂い悲しみを、すみやかに〔消し静めるがよい〕⸺風が、綿を吹き飛ばすように。(18)
vns597偈 592自己の、嘆き悲しみを、そして、渇望〔の思い〕を、さらに、失意〔の思い〕を⸺自己の安楽を探し求めている者は、自己の矢を引き抜くがよい。(19)
vns598偈 593矢が引き抜かれた者は、〔何にも〕依存せず、心の寂静に至り得て、一切の憂い悲しみを超え行き、憂い悲しみなく、涅槃に到達した者と成る。ということで⸺(20)
矢の経が第八となり、〔以上で〕終了となる。
この杜による要点
本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。
対応する本文へ 人の命がいつ終わるかは、前もってわからない。その命は短く、困難があり、苦しみと結びついている、と説く。
対応する本文へ 生まれた者が死なずにすむ方法はない。老いに至っても死はある。これが命あるものの定めである。
対応する本文へ 熟した果実がいつ落ちるかわからないように、生まれた人には常に死の危うさがある、とたとえる。
対応する本文へ 陶工の作った土器がすべて壊れて終わるように、人の命もそうである。
対応する本文へ 若者も大人も、愚かな人も賢い人も、皆が死の支配に行き着く。
対応する本文へ 死に打ち負かされてあの世へ行く人を、父が子を救うことはなく、親族が親族を救うこともない。
対応する本文へ 見よ、ただ見守るしかない親族、それぞれに泣き叫ぶ親族を。人は一人また一人、屠られる牛のように死へ導かれる。
対応する本文へ こうして世の人々は死と老いに悩まされている。それゆえ賢者は、世の人々の行く末を知って嘆かない。
対応する本文へ 来た人の道も去った人の道も、あなたは知らない。生と死の両端を正しく見ないまま、意味もなく嘆いている。
対応する本文へ 嘆くことで何かの益が引き出せるなら、明敏な人も嘆くだろう。だが実際は、迷って自分を害するだけである。
対応する本文へ 泣き悲しんでも心の静けさには至らない。むしろ苦しみが増し、身体が打ちのめされる。
対応する本文へ 自分で自分を害して痩せ衰えても、亡くなった人がどうにかなるわけではない。嘆くことに益はない。
対応する本文へ 憂いを捨てない人は、ますます苦しむ。命の終わりを泣き悲しむ人は、憂いの支配に従っている。
対応する本文へ あの世へ去っていく他の人々を見よ。自分の行いのままに赴く人々を。死の支配のもとに戻って、この世で震えている命あるものたちを見よ。
対応する本文へ 人があれこれ思っていても、物事は別のあり方になる。別れもそのように訪れる。世の成り行きを見よ、と説く。
対応する本文へ 百年生きても、それ以上生きても、親族と別れ別れになり、この世で命を捨てる。
対応する本文へ だから人格を完成した人の教えを聞いて、嘆きを取り除け。亡くなった人を見て、「この人はもう私の力ではどうにもできない」と。
対応する本文へ 燃える家を水で消すように、賢く智慧のある人は、生じた憂いをすみやかに消す。風が綿を吹き飛ばすように。
対応する本文へ 自分の安らぎを求める人は、嘆きと渇望と失意という自分の矢を引き抜け。
対応する本文へ 矢を引き抜いた人は、何にも頼らず、心の静けさに至り、あらゆる憂いを越えて、憂いなく安らぎに至る。
収録した訳と出典
日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。
訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。