いのりのもり祈りの杜仮称

スッタニパータ「ヴァーセッタの経」

← 紹介・目次へ

関西パーリ語実習会 日本語訳

日本語訳の本文

3.9. ヴァーセッタの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、イッチャーナンガラ〔村〕に住んでおられます。イッチャーナンガラ〔村〕の密林において。また、まさに、その時点にあって、大勢の、〔世の人々に〕証知されたうえにも証知された婆羅門の大家たちが、イッチャーナンガラ〔村〕に滞在しています。それは、すなわち、この、チャンキン婆羅門であり、タールッカ婆羅門であり、ポッカラサーティ婆羅門であり、ジャーヌッソーニ婆羅門であり、トーデイヤ婆羅門であり、さらに、他の、〔世の人々に〕証知されたうえにも証知された婆羅門の大家たちです。そこで、まさに、ヴァーセッタとバーラドヴァージャの学徒たちが、ゆったりした歩調で、こちらを歩いては、あちらを歩みつつあると、この合間の議論が起こりました。「君よ、どのように、〔人は〕婆羅門と成るのですか」と。

バーラドヴァージャ学徒は、このように言いました。「君よ、すなわち、まさに、かつまた、母〔の家系〕から、かつまた、父〔の家系〕から、両者ともに善き出生の者として〔世に〕有り、正しく清浄なる血統の者として、第七の祖父の代に至るまで、出生の論によって排斥されず弾劾されないことから、君よ、このことから、まさに、〔人は〕婆羅門と成ります」と。

ヴァーセッタ学徒は、このように言いました。「君よ、すなわち、まさに、そして、戒ある者として、さらに、掟を成就した者として、〔世に〕有ることから、君よ、このことから、まさに、〔人は〕婆羅門と成ります」と。まさに、バーラドヴァージャ学徒は、ヴァーセッタ学徒を説得することが、まさしく、できず、いっぽう、ヴァーセッタ学徒も、バーラドヴァージャ学徒を説得することができませんでした。

そこで、まさに、ヴァーセッタ学徒は、バーラドヴァージャ学徒に告げました。「貴君バーラドヴァージャよ、まさに、この方が、釈迦〔族〕の家から出家した、釈迦族の沙門ゴータマが、イッチャーナンガラ〔村〕に住んでいます。イッチャーナンガラ〔村〕の密林において。また、まさに、彼に、貴君ゴータマに、このように、善き評価の声が上がっています。『かくのごとくもまた……略……覚者であり、世尊である』と。貴君バーラドヴァージャよ、行きましょう。沙門ゴータマのいるところに、そこへと近づいて行くのです。近づいて行って、沙門ゴータマに、この義(意味)を尋ねるのです。すなわち、沙門ゴータマが、わたしたちに説き明かすとおり、そのとおりに、それを保持するのです」と。「君よ、わかりました」と、まさに、バーラドヴァージャ学徒は、ヴァーセッタ学徒に答えました。

そこで、まさに、ヴァーセッタとバーラドヴァージャの学徒たちは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、ヴァーセッタ学徒は、諸々の詩偈をもって語りかけました。

偈 594〔ヴァーセッタ学徒が尋ねた〕「わたしたちは、両者ともに、〔他者も〕承認し〔自らも〕明言する、三つのヴェーダ〔の知〕ある者たちとして存しています(ヴエーダ聖典の精通者である)。わたしは、ポッカラサーティの、この者(バーラドヴァージャ)は、タールッカの、学徒です。(1)

偈 595すなわち、三つのヴェーダについて告げられたなら、そこにあって、〔わたしたちは〕全一の者たちとして存しています。〔わたしたちは〕詩句に通じ文典に精通する者たちとして存しています。〔聖典の〕詠唱については師匠と同等の者たちとして。(2)

偈 596ゴータマよ、〔まさに〕その、わたしたちに、出生の論について論争が存在します。『出生によって、婆羅門と成る』〔と〕、バーラドヴァージャは、かくのごとく語ります。しかしながら、わたしは、『行為(業)によって、〔婆羅門と成る〕』〔と〕説きます。眼ある方よ、このように知ってください。(3)

偈 597〔まさに〕その、わたしたちは、両者ともに、互いに他を説得することができません。『正覚者』として〔世に〕聞こえた貴君に尋ねるために、〔わたしたちは〕やってきました。(4)

偈 598すなわち、滅〔の期間〕を過ぎた月(満月)に向かって、人々が合掌の者たちとなり、敬拝しながら礼拝するように、このように、世において、〔人々は〕ゴータマを〔礼拝します〕。(5)

偈 599世に生起した眼たる方に、ゴータマに、わたしたちは尋ねます。出生によって、婆羅門と成るのですか、それとも、行為によって、〔婆羅門と〕成るのですか。知らずにいるわたしたちに説いてください⸺すなわち、〔わたしたちが〕婆羅門のことを知りうるように」〔と〕。(6)

偈 600かくのごとく、世尊は〔答えた〕「ヴァーセッタよ、〔まさに〕その、あなたたちに、わたしは説き明かしましょう⸺順次に、真実のとおりに、命あるものたちの出生の区分を。まさに、互いに他とするものとして、諸々の出生はあります(それらは相異なるものとして存している)。(7)

偈 601草や木々のことをもまた、知りなさい⸺そして、また、〔それらは、自ら〕明言しないとして。それらには、出生によって作られる徴表(種による差異)があります。まさに、互いに他とするものとして、諸々の出生はあります。(8)

偈 602それから、蛆虫たちのことを、さらに、蟋蟀たちのことを、蟻たちに至るまで、〔それらのことをもまた、知りなさい〕。それらには、出生によって作られる徴表があります。まさに、互いに他とするものとして、諸々の出生はあります。(9)

偈 603四足のものたちのことをもまた、知りなさい⸺そして、小さいものたちのことを、大きいものたちのことを。それらには、出生によって作られる徴表があります。まさに、互いに他とするものとして、諸々の出生はあります。(10)

偈 604足が腹で、胸で赴き、長い背をもつ〔蛇〕たちのことをもまた、知りなさい。それらには、出生によって作られる徴表があります。まさに、互いに他とするものとして、諸々の出生はあります。(11)

偈 605それから、水にあり、水を餌場とする、魚たちのことをもまた、知りなさい。それらには、出生によって作られる徴表があります。まさに、互いに他とするものとして、諸々の出生はあります。(12)

偈 606それから、翼があり、翼を乗物として、宙を赴く〔鳥〕たちのことをもまた、知りなさい。それらには、出生によって作られる徴表があります。まさに、互いに他とするものとして、諸々の出生はあります。(13)

偈 607すなわち、これらの出生において、出生によって作られる徴表が個々にあるように、このように個々にある、出生によって作られる徴表は、人間たちにおいては存在しません。(14)

偈 608諸々の髪になく、頭になく、〔両の〕耳になく、〔両の〕眼になく、口になく、鼻になく、〔両の〕唇になく、あるいは、〔両の〕眉に〔なく〕⸺(15)

偈 609首になく、〔両の〕肩になく、腹になく、背になく、尻になく、胸になく、陰部になく、淫事(性行為のあり方)になく⸺(16)

偈 610〔両の〕手になく、〔両の〕足になく、〔両手の〕指になく、あるいは、〔両手の〕爪に〔なく〕、〔両足の〕脛になく、〔両足の〕膝になく、色になく、あるいは、声に〔なく〕、出生によって作られる徴表は、まさしく、〔人間たちにおいては〕ありません。すなわち、他の諸々の出生におけるようには。(17)

偈 611そして、〔他の〕諸々の肉体において、各自それぞれに〔見出される〕、この〔徴表〕は、人間たちにおいては見出されません。そして、〔各自それぞれの〕区別は、人間たちにおいては、呼称によって呼ばれます。(18)

偈 612まさに、彼が誰であれ、人間たちのなかで、牧畜に依拠して生きるなら⸺ヴァーセッタよ、このように知りなさい⸺彼は、耕作者であり、婆羅門ではありません。(19)

偈 613まさに、彼が誰であれ、人間たちのなかで、多々なる技能によって生きるなら⸺ヴァーセッタよ、このように知りなさい⸺彼は、技術者であり、婆羅門ではありません。(20)

偈 614まさに、彼が誰であれ、人間たちのなかで、売り買いに依拠して生きるなら⸺ヴァーセッタよ、このように知りなさい⸺彼は、商人であり、婆羅門ではありません。(21)

偈 615まさに、彼が誰であれ、人間たちのなかで、他者に仕えることで生きるなら⸺ヴァーセッタよ、このように知りなさい⸺彼は、下僕であり、婆羅門ではありません。(22)

偈 616まさに、彼が誰であれ、人間たちのなかで、与えられていないものに依拠して生きるなら⸺ヴァーセッタよ、このように知りなさい⸺この者は、盗賊であり、婆羅門ではありません。(23)

偈 617まさに、彼が誰であれ、人間たちのなかで、弓術に依拠して生きるなら⸺ヴァーセッタよ、このように知りなさい⸺軍人であり、婆羅門ではありません。(24)

偈 618まさに、彼が誰であれ、人間たちのなかで、司祭職によって生きるなら⸺ヴァーセッタよ、このように知りなさい⸺彼は、祭祀者であり、婆羅門ではありません。(25)

偈 619まさに、彼が誰であれ、人間たちのなかで、村を〔領し〕、さらに、国土を領するなら⸺ヴァーセッタよ、このように知りなさい⸺この者は、王であり、婆羅門ではありません。(26)

偈 620そして、わたしは、〔婆羅門の〕胎から生じ、〔婆羅門の〕母から発生する者を、『婆羅門』と説きません。それで、もし、〔執着ある〕所有者として〔世に〕有るなら、彼は、『ボーヴァーディン(「君よ」と呼びかける者)』という名で〔世に〕有る〔だけのこと〕。無一物で、無執取の者を⸺わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(27)

偈 621一切の束縛するものを断ち切って、彼が、まさに、思い悩まないなら、執着を超え行く者であり、束縛を離れた者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(28)

偈 622紐(憤怒)を断ち切って、そして、緒(渇愛)を〔断ち切って〕、手綱(煩悩)と共に、綱(六十二の邪見)を〔断ち切って〕、閂(無明)を引き抜いた覚者を⸺わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(29)

偈 623罵倒を、さらに、殴打と結縛を、彼が、怒ることなく忍受するなら、忍耐の力ある者であり、力ある軍隊〔に匹敵する者〕であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(30)

偈 624忿激せず、掟ある者を、〔渇愛の〕増長なく、戒ある者を、〔自己が〕調御され、最後の肉体ある者を⸺わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(31)

偈 625蓮の葉にある水〔滴〕のように、錐の先にある芥子〔粒〕のように、彼が、諸々の欲望〔の対象〕に汚されないなら、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(32)

偈 626彼が、まさしく、この〔世において〕、自己の苦の滅尽を覚知するなら、〔生の〕重荷を降ろした者であり、〔世の〕束縛を離れた者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(33)

偈 627深遠なる智慧ある者にして思慮ある者を、道と道ならざるものを熟知する者を、最上の義(目的)を獲得した者を⸺わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(34)

偈 628在家の者たちと交わらず、さらに、同様に、家なき者たちと〔交わらず〕、家なくして行く、少なき欲求の者を⸺わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(35)

偈 629動くものたちにたいし、さらに、動かないものたちにたいし、〔一切の〕生類にたいし、棒(武器)を置いて、彼が、〔他者を〕殺さず、〔他者をして他者を〕殺させないなら、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(36)

偈 630〔道を〕遮る者たちのなかにいながら遮ることなき者(一切にたいし敵意なき者)を、棒(武器)を取る者たちのなかにいながら涅槃に到達した者を、執取〔の思い〕を有する者たちのなかにいながら執取〔の思い〕なき者を⸺わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(37)

偈 631彼の、そして、貪欲(貪)が、かつまた、憤怒(瞋)が、〔我想の〕思量(慢)が、さらに、〔虚栄の〕偽装(覆)が、芥子〔粒〕が錐の先から〔落ちる〕ように打ち倒されたなら、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(38)

偈 632粗野ではなく、〔はっきりと意味を〕識知させる、真理の言葉を発し、それによって、誰であれ、傷つけないなら、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(39)

偈 633彼が、この〔世において〕、あるいは、長いものも、あるいは、短いものも、微細なるものと粗大なるものも、浄美なるものと浄美ならざるものも、世において、与えられていないものを、〔何ひとつ〕取らないなら、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(40)

偈 634この世において、さらに、他〔の世〕において、彼に、諸々の願望(自己中心的な期待や思惑)が見出されないなら、願求なき者であり、束縛を離れた者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(41)

偈 635彼に、諸々の〔生存の〕基底(阿頼耶:執着)が見出されず、〔一切を〕了知して、懐疑なき者となるなら、不死への沈潜(涅槃)を獲得した者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(42)

偈 636彼が、この〔世において〕、そして、善を、さらに、悪を、両者ともに、執着〔の思い〕を超え行ったなら、憂いなく、〔世俗の〕塵を離れる、清浄の者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(43)

偈 637月のように、垢(汚れ)を離れ、清浄で、清らかな信ある、濁りなき者を、生存の愉悦が完全に滅尽した者を⸺わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(44)

偈 638彼が、この障害と悪路と輪廻と迷妄を超え行ったなら、〔激流を〕超え彼岸に至った瞑想者であり、動揺なく懐疑なき者であり、〔何も〕執取せずして涅槃に到達した者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(45)

偈 639彼が、この〔世において〕、諸々の欲望〔の対象〕を捨棄して、家なき者として遍歴遊行するなら、欲望〔の対象〕と〔迷いの〕生存が完全に滅尽した者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(46)

偈 640彼が、この〔世において〕、渇愛〔の思い〕を打破して、家なき者として遍歴遊行するなら、渇愛〔の思い〕と〔迷いの〕生存が完全に滅尽した者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(47)

偈 641人間の束縛を捨棄して、天の束縛を超え行ったなら、一切の束縛による束縛を離れた者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(48)

偈 642そして、歓楽と不満〔の両者〕を捨棄して、〔心が〕清涼と成った者を、〔生存の〕依り所(依存の対象)なき者を、一切の世を征服する勇者を⸺わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(49)

偈 643彼が、有情たちの死滅を、さらに、再生を、全てにわたり知ったなら、〔一切に〕執着なき者であり、善き至達者たる覚者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(50)

偈 644天〔の神々〕たちが、音楽神や人間たちが、彼の赴く所を知らないなら、煩悩の滅尽者たる阿羅漢であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(51)

偈 645かつまた、過去に、かつまた、未来に、かつまた、〔その〕中間(現在)において、彼のものが、何も存在しないなら、無一物の者であり、無執取の者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(52)

偈 646〔勇猛果敢な〕雄牛たる最も優れた勇者を、〔一切の〕征圧者たる偉大なる聖賢を、不動の沐浴者(梵行終了者)たる覚者を⸺わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(53)

偈 647彼が、過去(前世)の居住を知ったなら、かつまた、〔人々が死後に赴く〕天上と悪所を〔あるがままに〕見るなら、そこで、生の滅尽に至り得た者であるなら、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(54)

偈 648まさに、世において、この呼称があり、名前や氏姓は、〔そのようなものとして〕想い描かれた〔だけの〕ものです。慣習(世俗:社会通念)から生まれ来たものであり、その場、その場に、〔そのように名づけられ〕想い描かれた〔だけの〕ものです。(55)

偈 649無知なる者たちには、長夜にわたり悪しき習いとなった、悪しき見解があります。無知なる者たちは、わたしたちに説きます⸺『出生によって、婆羅門と成る』〔と〕。(56)

偈 650出生によって、婆羅門と成るのではありません。出生によって、婆羅門ならざる者と成るのではありません。行為によって、婆羅門と成ります。行為によって、婆羅門ならざる者と成ります。(57)

偈 651行為によって、耕作者と成ります。行為によって、技術者と成ります。行為によって、商人と成ります。行為によって、下僕と成ります。(58)

偈 652行為によって、また、盗賊と成ります。行為によって、また、軍人と〔成ります〕。行為によって、祭祀者と成ります。行為によって、また、王と成ります。(59)

偈 653このように、このことはあり、事実のとおりに、賢者たちは、行為を見ます⸺縁によって〔物事が〕生起する〔道理〕(縁起:因果の道理)を見る者たちとして、行為の報い(業報)を熟知する者たちとして。(60)

偈 654行為によって、世は転起します。行為によって、人々は転起します。進み行く車の楔(車軸に車輪を固定する部品)のように、行為という結縛あるのが有情たちです。(61)

偈 655苦行によって、梵行によって、自制によって、さらに、調御によって⸺これによって、婆羅門と成ります。これは、最上の婆羅門〔の境地〕です。(62)

偈 656三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)を成就した者が、〔心が〕寂静となった者が、さらなる生存が滅尽した者が⸺ヴァーセッタよ、このように知りなさい⸺識者たちにとっては、梵〔天〕であり、帝釈〔天〕なのです」と。(63)

このように説かれたとき、ヴァーセッタとバーラドヴァージャの学徒たちは、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、すばらしいことです。……略……。貴君ゴータマは、わたしたちを、在俗信者として認めてください⸺今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者たちとして」〔と〕。ということで⸺

ヴァーセッタの経が第九となり、〔以上で〕終了となる。

この杜による要点

本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。

対応する本文へ 学徒ヴァーセッタが言った。私たち二人は三つのヴェーダに通じていると認められ、自らもそう言っています。私はポッカラサーティの、この人はタールッカの弟子です。

対応する本文へ 三つのヴェーダに関しては完全に通じ、詩句と文典に精通し、詠唱では師匠と同等です。

対応する本文へ 私たちは出生について論争しています。バーラドヴァージャはバラモンの尊さは生まれによると言い、私は行いによると考えています、とヴァーセッタは話す。

対応する本文へ 私たちは互いに説得できません。正しく目覚めた方として名高いあなたに尋ねに来ました。

対応する本文へ 満ちた月に向かって人々が合掌して礼拝するように、世の人々はゴータマを礼拝します。

対応する本文へ 世の智慧の目であるゴータマに尋ねます。真に尊ぶべきバラモンとは、生まれによって決まるのですか、行いによってですか。私たちに教えてください、と。

対応する本文へ ブッダは答える。生きものにはさまざまな種類がある。その違いを、順にありのままに説こう、と。

対応する本文へ 草や木を知りなさい。自ら名乗らなくても、生まれによる種の違いがある。生まれは互いに異なるものである。

対応する本文へ 地を這う虫も、飛ぶ虫も、蟻などに至るまで知りなさい。それぞれの種類に、生まれながらのしるしがある。

対応する本文へ 四足のものも、小さいものも大きいものも知りなさい。生まれによる種の違いがある。生まれは互いに異なるものである。

対応する本文へ 腹を足として胸で進む長い背の蛇も知りなさい。生まれによる種の違いがある。生まれは互いに異なるものである。

対応する本文へ 水に住み水を餌場とする魚も知りなさい。生まれによる種の違いがある。生まれは互いに異なるものである。

対応する本文へ 翼を持ち翼で空を行く鳥も知りなさい。生まれによる種の違いがある。生まれは互いに異なるものである。

対応する本文へ これらの生きものには生まれによる種の違いがそれぞれあるが、人間にはそのような生まれによる違いはない。

対応する本文へ 髪にも頭にも耳にも目にも口にも鼻にも唇にも眉にも、

対応する本文へ 首にも肩にも腹にも背にも尻にも胸にも陰部にも性のありようにも、

対応する本文へ 手足、指や爪、脛や腿、肌の色や声にも、ほかの生きものの種を分けるような、生来の身分のしるしはない。

対応する本文へ 人間の身体に、生物の種を分けるような身分のしるしは見いだせない。人間の身分の区別は、世間の呼び名に基づく、と説く。

対応する本文へ 人間の中で牧畜によって生きる人は、ヴァーセッタよ、耕す人であって真のバラモンではない。

対応する本文へ 人間の中でさまざまな技能によって生きる人は、技術者であって真のバラモンではない。

対応する本文へ 人間の中で売り買いによって生きる人は、商人であって真のバラモンではない。

対応する本文へ 人間の中で他人に仕えて生きる人は、下僕であって真のバラモンではない。

対応する本文へ 人間の中で与えられていないものによって生きる人は、盗賊であって真のバラモンではない。

対応する本文へ 人間の中で弓術によって生きる人は、軍人であって真のバラモンではない。

対応する本文へ 人間の中で司祭の職によって生きる人は、祭祀者であって真のバラモンではない。

対応する本文へ 人間の中で村や国土を領する人は、王であって真のバラモンではない。

対応する本文へ 母の家の生まれだけで、真のバラモンとは呼ばない。執着があれば、ただ尊称で呼びかける人にすぎない。所有や執着を離れた人をこそ、そう呼ぶ。

対応する本文へ すべての束縛を断ち切って思い悩まず、執着を越え、束縛を離れた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 怒りの紐と渇愛の緒を断ち、煩悩の手綱と誤った見解の綱を断ち、無明の閂を引き抜いて目覚めた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 罵りも殴打も縛めも怒らずに耐える、忍耐の力を軍勢とする人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 怒らず、掟を守り、渇愛を増やさず、戒を守り、自分を調え、最後の身にある人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 蓮の葉の水滴のように、錐の先の芥子粒のように、欲望に染まらない人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ この世で自分の苦しみの尽きたことを知り、重荷を下ろし、束縛を離れた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 深い智慧と思慮があり、道と道でないものを見分け、最高の目的に達した人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 在家とも出家とも馴れ合わず、家を持たずに歩み、欲求の少ない人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 動くものにも動かないものにも、すべての生きものに武器を置き、殺さず殺させない人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 敵意ある人々の中で敵意なく、武器を取る人々の中で安らぎに至り、執着する人々の中で執着しない人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 貪りと怒り、慢心と人を軽んじる心が、錐の先から芥子粒が落ちるように落ちた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 荒くなく、意味のはっきりした真実の言葉を語り、誰も傷つけない人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 長いものも短いものも、小さいものも大きいものも、美しいものもそうでないものも、与えられていないものは何も取らない人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ この世にも来世にも願望がなく、求めるものがなく、束縛を離れた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 執着がなく、よく知って疑いを越え、不死の境地に深く入った人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 善にも悪にも執着を越え、憂いなく、塵を離れた清らかな人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 月のように清らかで、よく澄み、濁らず、再び生存することへの喜びが尽きた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 険路と悪路と輪廻と迷いを越え、流れを渡って向こう岸に至り、瞑想し、動じず疑わず、執着なく安らぎに至った人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 欲望を捨てて家なく歩み、欲望と迷いの生存が尽きた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 渇愛を打ち砕いて家なく歩み、渇愛と迷いの生存が尽きた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 人間の束縛を捨て、天の束縛も越えて、あらゆる束縛から離れた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 楽しみも不満も捨てて心が涼しくなり、頼るものがなく、全世界に打ち勝った勇者を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 生きものの死と再生をすべて知り、執着なく、善く至った目覚めた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 神々も音楽神も人間も、その行方を知ることができない、煩悩の尽きた人格完成者を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 過去にも未来にも現在にも自分のものが何もなく、何も持たず執着のない人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 雄牛にたとえられる優れた勇者、勝利を得た偉大な賢者で、動揺せず、清められて目覚めた人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 前世の住まいを知り、天と悪い境遇を見、生の尽きることに至った人を、私は真のバラモンと説く。

対応する本文へ 世にある呼び名や、名前や家柄は、そのように思い描かれただけのものである。慣習から生まれ、その場その場で名づけられたにすぎない。

対応する本文へ 無知な人々には、長く悪い習いとなった誤った見解がある。無知な人々は「生まれによって真のバラモンとなる」と説く。

対応する本文へ 生まれによって真のバラモンになるのでも、真のバラモンでなくなるのでもない。行いによって真のバラモンになり、行いによって真のバラモンでなくなる。

対応する本文へ 行いによって耕す人となり、行いによって技術者となり、行いによって商人となり、行いによって下僕となる。

対応する本文へ 行いによって盗賊となり、行いによって軍人となり、行いによって祭祀者となり、行いによって王となる。

対応する本文へ 事実のとおり、賢者はこのように行いを見る。縁によって物事が生じる道理を見る人として、行いの報いを知り尽くした人として。

対応する本文へ 行いによって世は動き、行いによって人々は動く。進む車の車軸の楔のように、生きものは行いに結びつけられている。

対応する本文へ 苦行と清らかな行いと自制と調御によって、真のバラモンとなる。これが最上の真のバラモンの境地である。

対応する本文へ 三つの明知を備え、心が静まり、次の生が尽きた人。ヴァーセッタよ、理解ある人々にとって、その人こそが梵天であり帝釈天である。

文字サイズや読み方を切り替えて読む

収録した訳と出典

日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。

訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。

公開元の日本語訳 · CC BY-NC-ND 3.0(表示・非営利・改変禁止)