いのりのもり祈りの杜仮称

スッタニパータ「勝利の経」

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関西パーリ語実習会 日本語訳

日本語訳の本文

1.11. 勝利の経

偈 193もしくは、歩いていようが、立っていようが、あるいは、また、坐っているも、臥しているも⸺〔身体を〕伸ばし、〔身体を〕曲げる⸺これが、身体の動きである。(1)

偈 194骨と腱で束縛され、皮と肉で塗装され、皮膚によって隠蔽された身体は、事実のとおりに見られない。(2)

偈 195〔身体は〕腸で満ち、胃で満ち、肝臓、膀胱、心臓、肺臓、腎臓、そして、脾臓で〔満ち〕⸺(3)

偈 196鼻水、唾液、そして、汗で〔満ち〕、さらに、脂肪で〔満ち〕、血液、髄液、そして、胆汁で〔満ち〕、さらに、膏で〔満ちている〕。(4)

偈 197そして、この〔身体〕の、九つの流れからは、不浄物が、一切時に流れ出る。眼からは眼糞が〔流れ出る〕。耳からは耳糞が〔流れ出る〕。(5)

偈 198さらに、鼻からは鼻水が〔流れ出る〕。口からは、或るときには、胆汁を吐き、さらに、痰を吐く。身体からは汗と垢が〔流れ出る〕。(6)

偈 199そして、この〔身体〕の、空洞の頭蓋は、脳味噌で満たされている。無明によって〔特定のものを〕偏重する愚者は、それ(身体)を、「浄美である(美しく価値がある)」と思いなす。(7)

偈 200しかしながら、彼が、死者となり、〔地に〕臥す、そのとき、膨張し、青黒くなり、墓場に捨てられたなら、親族たちは、〔彼について〕期待なき者たちと成る。(8)

偈 201そして、犬たちが、さらに、野狐(ジャッカル)たちが、狼たちが、蛆虫たちが、彼を喰う。さらに、すなわち、他の、〔死体を食物とする〕命あるものたちが存在し、烏たちが、さらに、鷲たちが、〔彼を〕喰う。(9)

偈 202覚者の言葉を聞いて、比丘は、この〔世において〕、智慧ある者となる。彼は、まさに、それ(身体)を遍知する。なぜなら、事実のとおりに見るからである。(10)

偈 203「すなわち、この〔身体〕のように、そのように、この〔死体〕は〔かつて存していた〕。すなわち、この〔死体〕のように、そのように、この〔身体〕は〔いずれ存するであろう〕」〔と〕、かつまた、内に、かつまた、外に、身体についての欲〔の思い〕を離貪させるであろう。(11)

偈 204欲〔の思い〕と貪り〔の思い〕が離貪した、その比丘は、この〔世において〕、智慧ある者となる。不死なる寂静に、死滅なき涅槃の境処に、到達したのだ。(12)

偈 205この二足の者(人間)は、不浄で、悪臭があり、〔諸々の手段によって、悪臭から〕守られている。種々なる死骸(汚物)で遍く満ち、そこかしこから、〔汚物が〕流れ出ている。(13)

偈 206このようなものである〔不浄の〕身体によって、すなわち、傲慢たるべく思いなし(他者に褒められたいと思い考え)、あるいは、他者を見下すなら、見なきより他の、何だというのだろう(盲者以外の何ものでもない)。ということで⸺(14)

勝利の経が第十一となり、〔以上で〕終了となる。

この杜による要点

本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。

対応する本文へ 歩くにも立つにも、坐るにも臥すにも、伸ばしたり曲げたりする。これが身体の動きである。

対応する本文へ 骨と腱でつながれ、皮と肉で塗られ、皮膚に覆われた身体は、ありのままには見られていない。

対応する本文へ 身体は腸と胃に満ち、肝臓・膀胱・心臓・肺・腎臓・脾臓に満ち、

対応する本文へ 身体は鼻水・唾・汗・脂肪・血・関節の液・胆汁・膏などで満ちている。

対応する本文へ この身体の九つの穴からは、いつも不浄なものが流れ出る。目からは目やにが、耳からは耳あかが、

対応する本文へ 鼻からは鼻水が。口からは胆汁や痰を吐き、身体からは汗と垢が出る。

対応する本文へ 頭蓋のうつろは脳で満たされている。無明に偏った愚かな人は、この身体を美しく価値あるものと思い込む。

対応する本文へ しかし死んで横たわり、膨れて青黒くなり、墓場に捨てられると、親族さえその人に何も期待しなくなる。

対応する本文へ 犬や野狐や狼や蛆が、烏や鷲や、ほかの死肉を食べる生き物が、その身体を食う。

対応する本文へ 覚者の言葉を聞いた修行者は、この世で智慧ある人となり、身体をあますところなく知る。ありのままに見るからである。

対応する本文へ 「この死体はかつてこの身のようであり、この身はいずれこの死体のようになる」と見て、内にも外にも、身体への欲を離れる。

対応する本文へ 欲と貪りを離れた智慧ある修行者は、不死の安らぎ、揺らぐことのない涅槃の境地に達した、と説かれる。

対応する本文へ この二本足の身体は不浄で臭いを放ち、さまざまな不浄物で満ち、あちこちから流れ出る。それでも大切に扱われている。

対応する本文へ このような身体のことで思い上がったり、人を見下したりするなら、それは身体をありのままに見ていないからだ、と説く。

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収録した訳と出典

日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。

訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。

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