いのりのもり祈りの杜仮称

スッタニパータ「ダニヤの経」

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関西パーリ語実習会 日本語訳

日本語訳の本文

1.2. ダニヤの経

偈 18かくのごとく、ダニヤ牛飼いが〔言った〕「わたしは、飯を炊き、乳を搾った者として、〔世に〕存しています。マヒー〔川〕の岸辺に、〔妻子や下僕たちと〕共に存する住居があります。小屋は〔しっかりと〕覆われ、火が焚かれています。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(1)

偈 19かくのごとく、世尊(ブッダ)は〔言った〕「わたしは、忿激せず、鬱積〔の思い〕を離れ去った者として、〔世に〕存しています。マヒー〔川〕の岸辺に、一夜の住居があります。小屋(身体)は開かれ(煩悩の覆いなく)、〔貪欲の〕火は寂滅しています。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(2)

偈 20かくのごとく、ダニヤ牛飼いが〔言った〕「蝿や蚊たちは、見出されません。牛たちは、草が生い茂った沼地を歩み、たとえ、雨がやってきたとして、耐え抜くでしょう。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(3)

偈 21かくのごとく、世尊は〔言った〕「〔しっかりと〕結び縛られ、頑丈に作られた筏が、〔かつて〕存しました。〔渇愛の思いを〕取り除いて、激流を超え、彼岸に至ったのです。〔もはや〕筏に、義(意味)は見出されません。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(4)

偈 22かくのごとく、ダニヤ牛飼いが〔言った〕「わたしの牛飼い女(妻)は、従順で、〔欲の〕妄動なき者です。長夜にわたり、共に住み、意に適う者です。何であれ、彼女についての悪しき〔話〕を、〔わたしは〕聞きません。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(5)

偈 23かくのごとく、世尊は〔言った〕「わたしの心は、従順で、解脱しています。長夜にわたり、完全に修められ、善く調御されています。また、わたしに、悪は見出されません。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(6)

偈 24かくのごとく、ダニヤ牛飼いが〔言った〕「わたしは、自己の稼ぎで〔自らを〕養う者として、〔世に〕存しています。さらに、共に存するべき、わたしの子供たちも、無病〔息災〕です。何であれ、彼らについての悪しき〔話〕を、わたしは聞きません。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(7)

偈 25かくのごとく、世尊は〔言った〕「わたしは、誰の雇われでもなく、〔世に〕存しています。一切の世において、〔行乞で〕得たものによって歩みます。〔もはや〕雇われることに、義(意味)は見出されません。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(8)

偈 26かくのごとく、ダニヤ牛飼いが〔言った〕「〔わたしには〕子牛たちが存在します。乳牛(母牛)たちが存在します。〔過去に子を〕宿したことのある雌牛たちが〔存在します〕。〔過去に子を〕宿したことのない雌牛たちもまた存在します。ここには、牛たちの長たる雄牛もまた存在します。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(9)

偈 27かくのごとく、世尊は〔言った〕「〔わたしには〕子牛たちは存在しません。乳牛たちは存在しません。〔過去に子を〕宿したことのある雌牛たちは〔存在しません〕。〔過去に子を〕宿したことのない雌牛たちもまた存在しません。ここには、牛たちの長たる雄牛もまた存在しません。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(10)

偈 28かくのごとく、ダニヤ牛飼いが〔言った〕「〔深く〕掘られた諸々の杭は揺るぎなく、ムンジャ〔草〕で作られている諸々の縄は新しく、善く綯われています。まさに、乳牛たちでさえも、断ち切ることはできないでしょう。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(11)

偈 29かくのごとく、世尊は〔言った〕「雄牛のように、諸々の結縛を断ち切って、象が蔦葛を〔踏み敷く〕ように、〔諸々の束縛を〕踏み砕いて、わたしは、胎に臥す〔境遇〕にふたたび近づくことはないでしょう。天よ、そこで、もし、望み求めるなら、雨を降らせよ」〔と〕。(12)

偈 30そして、低地を〔潤し〕、さらに、高地を潤しながら、まさしく、ただちに、大雲が雨を降らせた。天が雨を降らせているのを聞いて、ダニヤは、この義(意味)を語った。(13)

偈 31〔ダニヤ牛飼いが言った〕「わたしたちには、まさに、諸々の少なからざる利得があります。すなわち、わたしたちは、世尊を見たのです。眼ある方よ、帰依所として、あなたのもとへと、〔わたしたちは〕近しく至ります(覚者に帰依します)。偉大なる牟尼(ブッダ)よ、あなたは、わたしたちの教師と成ってください。(14)

偈 32かつまた、牛飼い女も、かつまた、わたしも、従順にして、善き至達者(ブッダ)のもと、梵行(禁欲清浄行)を歩みます。生と死の彼岸に至り、苦しみの終極を為す者たちと成ります」〔と〕。(15)

偈 33かくのごとく、悪魔パーピマントが〔言った〕「子をもつ者は、子たちによって喜び楽しむ。まさしく、そのように、牛をもつ者は、牛たちによって喜び楽しむ。まさに、諸々の〔生存の〕依り所(依存の対象)は、人の喜び楽しみである。彼が、依り所なき者であるなら、彼は、まさに、喜び楽しむことがない」〔と〕。(16)

偈 34かくのごとく、世尊は〔言った〕「子をもつ者は、子たちによって憂い悲しむ。まさしく、そのように、牛をもつ者は、牛たちによって憂い悲しむ。まさに、諸々の〔生存の〕依り所は、人の憂い悲しみである。彼が、依り所なき者であるなら、彼は、まさに、憂い悲しむことがない」〔と〕。ということで⸺(17)

ダニヤの経が第二となり、〔以上で〕終了となる。

この杜による要点

本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。

対応する本文へ 牛飼いダニヤは言う。飯を炊き乳を搾り、川岸に家があり、小屋は葺かれ火も焚いてある。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ブッダは答える。怒りも鬱屈も離れ、川岸に一夜の宿がある。覆いは開かれ、欲の火は消えている。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ダニヤは言う。蝿も蚊もおらず、牛は草の茂る沼地を歩き、雨が来ても耐えるだろう。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ブッダは答える。頑丈な筏で激流を渡り、向こう岸に着いた。もう筏はいらない。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ダニヤは言う。妻は従順で浮ついたところがなく、長く連れ添って気が合い、悪い噂も聞かない。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ブッダは答える。私の心は従順で解き放たれ、長く修められ、よく調えられて、悪は見当たらない。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ダニヤは言う。自分の稼ぎで暮らし、子どもたちも無病で、悪い噂も聞かない。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ブッダは答える。私は誰にも雇われず、自ら得たもので世を歩む。賃金を求める必要はない。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ダニヤは言う。さまざまな牛がおり、群れを率いる雄牛もいる。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ブッダは答える。私はさまざまな牛も、群れを率いる雄牛も持たない。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ダニヤは言う。杭は深く打たれて揺るがず、縄は新しくよく綯われ、牛にも切れない。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ ブッダは答える。雄牛のように束縛を断ち、象が蔓を引き裂くように縛りを破った。再び母の胎に宿ることはない。天よ、降りたければ雨を降らせよ、と。

対応する本文へ すると大きな雲がたちまち低地も高地も潤して雨を降らせた。雨の音を聞いて、ダニヤは語った。

対応する本文へ ダニヤは言う。尊い方にお会いできたことは大きな幸いだ。智慧の目を持つ方よ、あなたを拠り所とします。私たちの師となってください。

対応する本文へ 妻も私も、善く至った方のもとで清らかな行いを歩みます。生と死の向こう岸に至り、苦しみを終わらせる者となります。

対応する本文へ 悪魔が言う。子を持つ者は子で喜び、牛を持つ者は牛で喜ぶ。頼るものは人の喜びであり、頼るもののない人には喜びがない、と。

対応する本文へ ブッダが答える。子を持つ者は子で嘆き、牛を持つ者は牛で嘆く。頼るものは人の憂いであり、頼るもののない人には憂いがない、と。

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収録した訳と出典

日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。

訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。

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