いのりのもり祈りの杜仮称

スッタニパータ「恥の経」

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関西パーリ語実習会 日本語訳

日本語訳の本文

2.3. 恥の経

偈 253恥〔の思い〕を超え行き、忌避している〔恥なき者〕を⸺「わたしは、〔あなたの〕友として存在する」と語りながら、諸々のできる行為を引き受けずにいる〔不実の者〕を⸺彼のことを、「この者は、わたしの〔友〕ではない」と、かくのごとく識知するがよい。(1)

偈 254彼が、〔実行が〕付従しない愛しい言葉を、朋友たちのあいだで作り為すなら、賢者たちは、為すことなく語っている者を、〔あるがままに〕遍知する。(2)

偈 255彼が、〔朋友にたいし〕常に〔警戒を〕怠らない者であるなら、〔友情の〕破壊を危惧する者であるなら、〔相手の〕欠点だけを随観する者であるなら、彼は、朋友ではない。しかしながら、〔母の〕胸に子が臥すように、彼のうちにあり、彼が、他者たち〔の介入〕による〔友情の〕破壊なき者であるなら、彼は、まさに、朋友である。(3)

偈 256歓喜を作り為す境位(喜びの因となる精進努力)を、賞賛をもたらす安楽(涅槃に導く精進努力)を、果の福利ある者は修める⸺人としての重荷を運びながら。(4)

偈 257遠離の味わいを飲み干して、さらに、寂止の味わいを〔飲み干して〕、懊悩なく悪なき者と成る⸺法(真理)の喜悦の味わいを飲み干しながら。ということで⸺(5)

恥の経が第三となり、〔以上で〕終了となる。

この杜による要点

本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。

対応する本文へ 恥を知らずに悪を厭わず、「私は友だ」と言いながら、できることを引き受けない人は、友ではないと知れ。

対応する本文へ 行動の伴わない優しい言葉を友の間で並べる人を、賢者は「口だけで何もしない人」と見抜く。

対応する本文へ 常に友情が壊れるのを恐れて相手の欠点ばかり見る人は友ではない。母の胸に子が憩うように身を寄せ、他人の口出しで壊れない人こそ友である。

対応する本文へ 実りを望む人は、喜びを生む修行と、賞賛に値する安らぎをもたらす修行を、人としての重荷を担いながら修める。

対応する本文へ 離れて静まる味わいと真理の喜びを味わった人は、悩みなく悪のない人となる。

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収録した訳と出典

日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。

訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。

公開元の日本語訳 · CC BY-NC-ND 3.0(表示・非営利・改変禁止)