スッタニパータ「「〔身体の〕破壊の前に」の経」
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日本語訳の本文
4.10. 「〔身体の〕破壊の前に」の経
vns854偈 848〔対話者が尋ねた〕「どのように見ある者が、どのように戒ある者が、『寂静者』と説かれるのですか。ゴータマよ、それを、わたしに説いてください。〔問いを〕尋ねられた者として、最上の人のことを」〔と〕。(1)
vns855偈 849かくのごとく、世尊は〔答えた〕「〔身体の〕破壊(死)の前に、渇愛〔の思い〕を離れ、過去の極(過去の記憶)に依存せず、〔過去と未来の〕中間(現在)において名称されない者⸺彼には、〔特別なものとして〕偏重された〔表象や見解〕は存在しません。(2)
vns856偈 850忿激せず、恐慌せず、誇らず、悔やまず、明慧によって話し、〔心が〕高揚しない者⸺彼は、まさに、言葉を制した牟尼(沈黙の聖者)です。(3)
vns857偈 851未来について執着なき者は、過去を憂いません。諸々の接触(触:感覚の発生)について遠離を見る者は、そして、諸々の見解について導かれません。(4)
vns858偈 852〔欲望の対象から〕退去し、虚言なく、羨望〔の思い〕なく、物惜〔の思い〕なき者は、尊大ならず、〔他者に〕忌避されず、かつまた、中傷〔の思い〕に陥る者でもありません。(5)
vns859偈 853諸々の快楽にたいし〔煩悩が〕漏れ出ない者は、かつまた、高慢〔の思い〕に陥る者でもありません。そして、〔所作進退が〕優雅で〔隙なく〕、即応即答〔の智慧〕ある者は、信仰なく、離貪しません(真理を確信した者に信仰は不要であり、無執着の者には離貪という行為自体が存在しない)。(6)
vns860偈 854利得(行乞の施物)を欲して学ばず、さらに、利得がないときも怒りません。そして、〔他者を〕遮らない者(他者に悪意なき者)は、諸々の味について、渇愛〔の思い〕で貪り求めません。(7)
vns861偈 855〔愛憎の思いを〕放捨し、常に気づきある者は、世において、〔自己と他者について〕『等しい』と思いません。『勝る』〔とも思い〕ません。『より劣る』〔とも思い〕ません。彼に、〔貪りや怒りなどの〕諸々の増長〔の思い〕は存在しません。(8)
vns862偈 856彼に、〔他者に〕依存することが存在しないなら、法(真理)を知って、依存なき者となります。彼に、生存への〔渇愛の思いが見出されないなら〕、あるいは、生存から離れることへの渇愛〔の思い〕が見出されないなら⸺(9)
vns863偈 857諸々の欲望〔の対象〕について期待なき者を、彼を、〔わたしは〕『寂静者』と説きます。彼に、諸々の拘束は見出されません。彼は、執着〔の思い〕を超えたのです。(10)
vns864偈 858彼に、子供たちや家畜たちは〔見出され〕ません。さらに、田畑や地所も見出され〔ません〕。あるいは、また、自己が、あるいは、自己ではないものが、彼においては、〔対象として〕認められないのです。(11)
vns865偈 859そこで、〔世の〕凡夫たちである、沙門や婆羅門たちが、それによって、彼のことを〔種々に〕説くとして、そのことは、彼にとって偏重されることではありません(どうでもいいことである)。それゆえに、諸々の論にたいし動じないのです。(12)
vns866偈 860貪求〔の思い〕を離れ、物惜〔の思い〕なく、牟尼は、増長している者たちのなかで〔論を〕説きません。等しい者たちのなかで〔論を説き〕ません。卑下している者たちのなかで〔論を説き〕ません。〔時間の〕妄想(時間の型枠・分別妄想・輪廻的あり方)なき者は、〔時間の〕妄想に至りません(輪廻しない・妄想しない)。(13)
vns867偈 861彼に、世において、自らのものが存在しないなら、そして、〔彼は〕所有するものがないので、〔もはや〕憂い悲しまず、さらに、諸々の法(見解)にたいし赴かず、彼は、まさに、『寂静者』と説かれます」〔と〕。ということで⸺(14)
「〔身体の〕破壊の前に」の経が第十となり、〔以上で〕終了となる。
この杜による要点
本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。
対応する本文へ 問う人が尋ねた。どのような見方と戒を持つ人が静まった人と説かれるのですか。ゴータマよ、最上の人について説いてください、と。
対応する本文へ ブッダは答えた。身体が壊れる前に渇愛を離れ、過去に頼らず、現在において名づけられない人。その人には偏重された表象や見解がない。
対応する本文へ 怒らず、おびえず、誇らず、悔やまず、思慮をもって語り、心が高ぶらない人は、言葉を制した聖者である。
対応する本文へ 未来に執着しない人は過去を憂えない。感覚の生じる接触に離れることを見る人は、見解に導かれない。
対応する本文へ 欲から退き、欺かず、羨まず、物惜しみせず、尊大でなく、厭うべき行いをせず、中傷にふけらない人である。
対応する本文へ 快楽に煩悩が漏れ出ず、高慢に陥らない。優雅で機転があり、信じ込むことも離貪することもない。
対応する本文へ 施しを欲しがって学ばず、施しがなくても怒らない。人に敵意のない人は、味を渇愛で貪らない。
対応する本文へ 愛憎を放ち、常に気づきある人は、世の中で自分を「等しい」とも「勝る」とも「劣る」とも思わない。貪りや怒りの増長がない。
対応する本文へ 他に頼ることがない人は、真理を知って頼らない人となる。生存への渇愛も、生存から離れることへの渇愛も見られないなら、
対応する本文へ 欲望に期待しないその人を、私は静まった人と説く。その人に拘束はなく、執着を越えている。
対応する本文へ 子や家畜、田畑や土地を自分のものとして持たず、何かを取り込んだり拒絶したりする執着も見いだせない、と説く。
対応する本文へ 凡人や修行者やバラモンが、その人を何かによって評しても、その基準を重んじない。だから言葉に動揺しない、と説く。
対応する本文へ 貪らず、物惜しみしない聖者は、自分を優れた者、等しい者、劣った者と語らない。思い込みを作らず、それに入らない、と説く。
対応する本文へ 世に自分のものが何もなく、持たないがゆえに嘆かず、見解に赴かない人は、静まった人と説かれる。
収録した訳と出典
日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。
訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。