スッタニパータ「マーガンディヤの経」
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日本語訳の本文
4.9. マーガンディヤの経
vns841偈 835〔世尊は言った〕「渇愛(タンハー)を、不満(アラティ)を、さらに、貪欲(ラガー)を、〔これらの名をもつ悪魔の娘たちを〕見て、〔わたしには〕淫事(性交)にたいする欲〔の思い〕さえも有りませんでした。この糞尿に満ちたものが、まさしく、何だというのでしょう。足でさえも、それに触れることを求めません」〔と〕。(1)
vns842偈 836〔マーガンディヤが尋ねた〕「もし、〔あなたが〕このような宝を求めないなら、〔すなわち〕多くの人のインダ(国王)たちに切望された女性〔という宝〕を〔求めないなら〕、悪しき見解を、戒や掟を、生命(生き方)を、さらに、〔迷いの〕生存への再生を、いったい、〔あなたは〕どのようなものと説くのですか」〔と〕。(2)
vns843偈 837かくのごとく、世尊は〔答えた〕「マーガンディヤよ、『〔わたしは〕これを説く』という〔執着は〕、彼(ブッダ)には有りません。諸々の法(見解)について、〔執着の対象として〕執持されたものを、〔執着の対象と〕判別して、さらに、諸々の見解について、〔あるがままに〕見ながら、〔それらに〕執持せずして、〔常に正しく〕弁別している者として、〔わたしは〕内なる寂静を見たのです」〔と〕。(3)
vns844偈 838かくのごとく、マーガンディヤが〔尋ねた〕「それら〔の見解〕が、〔執持の対象として〕想い描かれた、諸々の〔断定的〕判断であるとして、牟尼よ、まさに、それらに執持せずして、〔あなたは〕説きます⸺『内なる寂静』という、〔まさに〕その、この義(意味)を。それは、慧者たちによって、いったい、どのように〔告げ〕知らされたのですか」〔と〕。(4)
vns845偈 839かくのごとく、世尊は〔答えた〕「マーガンディヤよ、〔慧者は〕見解によって〔清浄を言わ〕ず、伝承によって〔清浄を言わ〕ず、知恵によって〔清浄を言わ〕ず、戒や掟によってもまた、清浄を言わないのです。〔あるいは〕見解なきによって、伝承なきによって、知恵なきによって、戒なきによって、掟なきによって、それによってもまた、〔清浄を言わ〕ないのです。そして、これらを放棄して、執持せずして、〔心が〕寂静となり、〔何にも〕依存せずして、〔もはや、迷いの〕生存を渇望しないのです」〔と〕。(5)
vns846偈 840かくのごとく、マーガンディヤが〔言った〕「もし、おっしゃるように、〔慧者は〕見解によって〔清浄を言わ〕ず、伝承によって〔清浄を言わ〕ず、知恵によって〔清浄を言わ〕ず、戒や掟によってもまた、清浄を言わないなら、〔あるいは〕見解なきによって、伝承なきによって、知恵なきによって、戒なきによって、掟なきによって、それによってもまた、〔清浄を言わ〕ないなら、わたしは〔それを〕、まさしく、迷愚の法(教え)と思うのです。或る者たちは、見解によって清浄を信受します」〔と〕。(6)
vns847偈 841かくのごとく、世尊は〔言った〕「マーガンディヤよ、つまり、〔あなたは〕見解(特定の主義・主張)に依存して問い尋ねているのです。諸々の執持されたものにたいする迷妄に陥り、そして、〔わたしが示した〕この〔法〕から、〔正しい〕表象(想:概念・心象)を、微塵でさえも見なかったのです。それゆえに、あなたは、〔わたしの法を〕『迷愚である』と決め付けるのです。(7)
vns848偈 842『等しい』『勝る』、あるいは、また、『劣る』〔と〕、彼が、〔種々に〕思いなすなら、彼は、その〔思い〕によって、〔他者と〕論争するでしょう。〔しかしながら、これらの〕三つの様相について〔心が〕動かずにいるなら、『等しい』『勝る』という〔思いは〕、彼には有りません。(8)
vns849偈 843〔真の〕婆羅門たる彼は、『〔これこそ〕真理である』と、何を説くというのでしょう。あるいは、彼は、『〔それは〕虚偽である』と、何によって、〔誰と〕論争するというのでしょう。あるいは、また、彼のうちに、『等しい』『等しくない』〔という思い〕が存在しないなら、彼は、何によって、論に関わるというのでしょう。(9)
vns850偈 844家を捨棄して、目印なくして行く者⸺牟尼は、村において、諸々の親愛〔の情〕(愛着の思い)を為さずにいるのです。諸々の欲望〔の対象〕から遠ざかった者は、〔何も〕偏重せずにいるのです。〔特定の見解に〕執持して、人に〔論争の〕言説を為すことはないのです。(10)
vns851偈 845それら〔の見解〕から遠離した者として、世を渡り歩くべきであるなら、龍たる者(牟尼)は、それらに執持して、〔自説を〕説くことはないのです。たとえば、汚水に生える、棘ある水蓮が、水に〔汚されず〕、さらに、泥に汚されないように、このように、〔内なる〕寂静を説く牟尼は、貪求なき者であり、かつまた、欲望〔の対象〕についても、かつまた、世〔の人々〕についても、汚されないのです。(11)
vns852偈 846〔真の〕知に至る者は、見解によって〔導かれることが〕なく、思想によって、彼が〔我想の〕思量(慢)に至ることもありません。なぜなら、彼は、それに関わらないからです。〔特定の宗教〕行為(業)によって〔導かれることも〕なく、また、〔他者からの伝え聞きでしかない〕聞かれたものによって導かれることもありません。彼は、諸々の〔妄執が〕固着する場に近しく導かれないのです。(12)
vns853偈 847〔誤った〕表象が離貪した者には、〔人を縛る〕諸々の拘束は存在しないのです。智慧によって解脱した者には、〔人を惑わす〕諸々の迷妄は存在しないのです。そして、〔特定の〕表象を〔収め取り〕、さらに、〔特定の〕見解を収め取った、それらの者たちが⸺彼らが、〔互いに〕対立しながら、世を渡り歩くのです」〔と〕。ということで⸺(13)
マーガンディヤの経が第九となり、〔以上で〕終了となる。
この杜による要点
本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。
対応する本文へ ブッダは言った。渇愛・不満・貪欲という悪魔の娘たちを見ても、私には淫事への欲さえなかった。糞尿に満ちたこの身が何だというのか。足で触れることさえ求めない、と。
対応する本文へ マーガンディヤが尋ねた。多くの王が望む女性という宝を求めないなら、あなたは見解や戒や掟、生き方、生まれ変わりをどのように説くのですか、と。
対応する本文へ ブッダは答える。教説を選んで「これを主張する」と抱え込むことはない。見解を見てもつかまず、探究して内なる安らぎを見いだした、と。
対応する本文へ マーガンディヤが尋ねた。それらの見解が思い描かれた断定であるとして、聖者よ、それにつかまらずに「内なる静けさ」と説くその意味は、賢者たちによってどう知らされたのですか、と。
対応する本文へ ブッダは答えた。賢者は見解によっても伝承によっても知恵によっても戒や掟によっても清らかさを説かず、それらがないことによっても説かない。これらを放ち、つかまず、心が静まり、何にも頼らず、生存を渇望しない、と。
対応する本文へ マーガンディヤは言った。見解でも伝承でも知恵でも戒や掟でも清らかさを説かず、それらがないことによっても説かないなら、それは迷いの教えだと私は思います。見解によって清らかさを信じる人々もいます、と。
対応する本文へ ブッダは言った。マーガンディヤよ、あなたは見解に頼って尋ねている。つかまれたものへの迷いに陥り、私の示した教えから正しい表象を微塵も見なかった。だから迷いの教えと決めつけるのだ。
対応する本文へ 「等しい」「勝る」「劣る」と思う人は、その思いによって論争する。この三つに心が動かない人には、「等しい」「勝る」という思いがない。
対応する本文へ 真の聖者が何を「これこそ真理」と説くだろう。何を「偽りだ」と論争するだろう。「等しい」「等しくない」という思いがない人が、何によって論に関わるだろう。
対応する本文へ 家を離れ、定まった住まいなく歩む聖者は、村で愛着を作らず、欲にとらわれず、何も重んじて固執せず、人と論争しない。
対応する本文へ それらの見解から離れて世を歩むべきなら、龍のような聖者はそれにしがみついて自説を説かない。汚れた水に生える水蓮が水にも泥にも汚れないように、静けさを説く聖者は貪りなく、欲望にも世にも汚されない。
対応する本文へ 真の知に至った人は見解に導かれず、思想によって慢心に至らない。それに関わらないからである。宗教行為にも、人づてに聞いたものにも導かれず、妄執の固まる場所へ導かれない。
対応する本文へ 誤った表象を離れた人には拘束がない。智慧によって解き放たれた人には迷いがない。特定の表象と見解を取り込んだ人々が、互いに対立しながら世を渡り歩く。
収録した訳と出典
日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。
訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。