いのりのもり祈りの杜仮称

スッタニパータ「パスーラの経」

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関西パーリ語実習会 日本語訳

日本語訳の本文

4.8. パスーラの経

偈 824〔対話者パスーラに、世尊は答えた〕「〔彼らは〕『まさしく、ここ(自説)に、清浄がある』と説きます。他者の諸々の法(見解)について、清浄を言いません。それ(自説)に依存する者たちが、そこにおいて、『美しい(価値がある)』と説いているなら、〔彼らは〕各自の諸々の真理にたいし、個々それぞれに固着しているのです。(1)

偈 825彼ら、論を欲する者たちは、衆のうちに入って、互いに他と競い合い、〔他者を〕愚者と決め付けます。彼らは、他者〔の権威〕に依存し、論難の言説を説きます⸺〔自らについて〕『智者である』〔と〕説きながら、賞賛を欲する者たちとして。(2)

偈 826衆の中で〔自己の〕言説に束縛された者は、賞賛を求めつつ、敗北を恐れる者と成ります。また、〔他者に〕排斥されたときは、愕然と成ります。彼は、〔他者の〕欠点を探し求める者であり、〔自己への〕非難には怒ります。(3)

偈 827すなわち、彼の論を、〔人々が〕『遍く劣る』と言うなら、問尋の審査者たちが『〔あなたの論は〕排斥された』と〔言うなら〕、劣った論の者は、〔それを〕嘆き、憂い悲しみます。『〔彼は〕わたしを超え行った』と、泣き悲しむのです。(4)

偈 828これらの論争が、沙門たちのあいだで生じたなら、これらのうちには、興奮と失望が有ります。このことをもまた見て、論難の言説を離れるように。なぜなら、賞賛を得ることより他に、義(利益)は存在しないからです。(5)

偈 829また、あるいは、衆の中で〔自己の〕論を告げて、そこにおいて、賞賛された者と成るとして、彼は、それによって、狂喜し、そして、傲慢になります⸺意が〔そう〕有ったとおりの、〔まさに〕その義(利益)に至り得て(想定どおりの結果になって慢心する)。(6)

偈 830その傲慢なるもの⸺それは、彼にとっては、悩み苦しみの境地。また、この者は、〔以前にも増して〕思量と高慢〔の論〕を説きます。このことをもまた見て、論争しないように。なぜなら、智者たちは、それによって、清浄を説かないからです。(7)

偈 831たとえば、王の食禄に養われた〔蛮勇の〕勇士が、敵の勇士を求めながら、雄叫びをあげつつ行くように、勇士よ、まさしく、彼(敵)のいるところに、そこに去り行きなさい。〔ここには〕戦いのための〔契機となる〕、〔まさに〕その、『これ』〔という思い〕は、まさしく、過去において〔消滅し〕、存在しないのです(「これこそが、真理である」と主張するための「これ」という思いは、もはや存在しない)。(8)

偈 832すなわち、〔特定の〕見解に執持して論争し、そして、『これこそが、真理である』と説く、それらの者たちに、あなたは説きなさい。ここに、それらの者たちは、まさに、存在しません⸺論が生じたとき、敵視を為す者たちは。(9)

偈 833また、すなわち、〔一切にたいし〕敵視を為さずして〔世を〕歩み、諸々の見解によって見解を遮られることがない者たちがいます。パスーラよ、彼らにたいし、あなたは、何を得るというのでしょう⸺彼らには、この〔世において〕、『〔これこそ〕最高である』〔と〕執持されたもの(特定の見解)が存在しないのです。(10)

偈 834そこで、あなたは、〔何かを〕尋ね求めつつ、〔ここに〕やってきました⸺意によって、諸々の悪しき見解を思い考えながら。清き者(ブッダ)とともに、〔あなたは、論争という〕軛を装着しました。まさに、あなたは、〔それゆえに、もはや〕進み行くことができないのです」〔と〕。ということで⸺(11)

パスーラの経が第八となり、〔以上で〕終了となる。

この杜による要点

本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。

対応する本文へ ブッダはパスーラに答えた。人々は「自説にこそ清らかさがある」と説き、他の見解に清らかさを認めない。自説に頼って「美しい」と言う人々は、各自の真理に固執している。

対応する本文へ 論争を好む人々は集まって競い合い、互いを愚か者と決めつける。権威に頼って論難し、自分を智者と言い、賞賛を求める。

対応する本文へ 人々の中で自分の説に縛られた人は、賞賛を求め、敗北を恐れる。退けられると愕然とし、他人の欠点を探し、非難されると怒る。

対応する本文へ 自分の論が「劣っている」と言われ、審査する人々に「退けられた」と言われると、劣った論の人は嘆き、「あの人に負けた」と泣く。

対応する本文へ 修行者たちの間でこうした論争が起きると、そこには興奮と失望がある。これを見て、論難から離れよ。賞賛を得る以外に何の益もないからである。

対応する本文へ 集まりで自説を述べて賞賛されると、その人は狂喜し、思いどおりの結果を得て傲慢になる。

対応する本文へ その傲慢は、その人にとって悩み苦しみの境地である。またさらに慢心と高慢を語るようになる。これを見て、論争するな。智者は論争によって清らかさを説かないからである。

対応する本文へ 王に養われた勇士が敵を求めて雄叫びをあげて進むように、勇士よ、敵のいる所へ去れ。ここには戦いのもとになる「これこそ真理」という思いは、もう存在しない。

対応する本文へ 特定の見解にしがみついて論争し、「これこそ真理」と説く人々に向かって語れ。ここには、論争が起きたときに敵視する人は存在しない。

対応する本文へ 見解で他の見解を攻撃せず、争いを離れて歩む人々がいる。パスーラよ、何も最高とつかまないその人々から、論争で何を得ようというのか。

対応する本文へ あなたは見解を心で思いめぐらし、論争しようと来た。だが清らかな人を相手にしては、その議論を進めることはできない、と語る。

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収録した訳と出典

日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。

訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。

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