いのりのもり祈りの杜仮称

スッタニパータ「小さなまとまりの経」

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関西パーリ語実習会 日本語訳

日本語訳の本文

4.12. 小さなまとまりの経

偈 878〔対話者が尋ねた〕「互いに自らの見解に固着している者たちは、〔自らの見解に〕種々に執持して、〔自らについて〕『智者である』〔と〕説きます。『彼が、このように知るなら、彼は、法(真理)を知っている』『このことを非難している彼は、全一者ではない』〔等々と〕。(1)

偈 879このように、また、〔世の自称智者たちは、自らの見解に〕執持して論争します。そして、『他者は、愚者である、智者ではない』と言います。いったい、これらの者たちの、どの論が、真理なのですか。まさに、これらの者たちは、まさしく、全ての者たちが、〔自らについて〕『智者である』〔と〕説いています」〔と〕。(2)

偈 880〔世尊は答えた〕「もし、他者の法(見解)を承認しないでいるとして、〔それによって、他者が〕愚者と〔成り〕、下等の者と〔成り〕、智慧の劣る者と成るなら、まさしく、全ての者たちが、愚者たちと〔成り〕、智慧の極めて劣る者たちと〔成ります〕。これらの者たちは、まさしく、全ての者たちが、〔各自の〕見解に固着しています。(3)

偈 881まさしく、そして、自らの見解によって、〔これらの者たちが〕浄白の者たちと〔成ることは〕ありません。〔もし、彼らが〕清浄の智慧ある者たちと〔成り〕、智者たちと〔成り〕、思慧ある者たちと〔成るなら〕、彼らのなかに、智慧の遍く劣る者は、誰もいなくなります。なぜなら、彼らの見解は、ともに、そのように、〔各自に〕完全であるからです。(4)

偈 882わたしは、『これは、真実である』と説くことが、まさしく、ないのです⸺それを、愚者たちが、互いに他と競い合い、〔『これは、真実である』と〕言うとして。〔愚者たちは〕互いに自らの見解〔だけ〕を、真理と為したのですが、まさに、それゆえに、他者を『愚者である』と決め付けるのです」〔と〕。(5)

偈 883〔対話者が尋ねた〕「それを、或る者たちが、『真理である。真実である』と言うなら、それを、他の者たちは、『虚妄である。虚偽である』と言います。このように、また、〔世の迷える沙門たちは、自らの見解に〕執持して論争します。何ゆえに、沙門たちは、一つのことを説かないのですか」〔と〕。(6)

偈 884〔世尊は答えた〕「まさに、真理は一つです。第二のものは存在しません。それについて、人々が、覚知しているなら、論争することはないでしょう。〔しかしながら、覚知していない〕彼ら(迷える沙門たち)は、諸々の真理を、種々に、自ら〔自分勝手に、『これこそは、真理である』と〕唱えます。それゆえに、〔世の迷える〕沙門たちは、一つのことを説かないのです」〔と〕。(7)

偈 885〔対話者が尋ねた〕「〔自らについて〕『智者である』〔と〕説いている、論争好きの者たちは、いったい、何ゆえに、諸々の真理を、種々に説くのですか。諸々の真理は、〔他者から〕聞かれたものとして、種々に多くあるのですか。あるいは、彼らは、〔自己の〕考え(自説)を、〔独善的に『真理である』と〕思い込んでいるのですか」〔と〕。(8)

偈 886〔世尊は答えた〕「種々に多くある〔それらの〕真理は、まさしく、まさに、〔真理では〕ありません。〔盲信された虚妄の〕表象より他に〔真理はあり〕、世における諸々の常住なるものは、〔真理ではありません〕。そして、〔彼らは〕諸々の見解のうちに〔自己の〕考えを〔独善的に〕想い描いて、『〔自説は〕真理である』『〔他説は〕虚偽である』と、二つの法(見解)を言います。(9)

偈 887見られたものについて、聞かれたものについて、戒や掟(執着の対象に成り下がった宗教行為)について、あるいは、思われたもの(我執の思いで対象化され他者化した認識対象)について、そして、これらのものに依存して、〔他者を〕軽侮して見る者がいます。〔断定的〕判断(自己顕示の道具としての主義・主張)に立脚して、〔他者を〕嘲笑しつつ、そして、『他者は、愚者である、智者ではない』と言います。(10)

偈 888まさしく、すなわち、他者を『愚者である』と決め付けることで、それによって、そして、自己を『智者である』と言います。自ら、自己によって、〔自らについて〕『智者である』〔と〕説きながら、彼は、〔一方的に〕他者を軽侮し、まさしく、それ(自説)を、〔独善的に〕説きます。(11)

偈 889まさしく、錯誤の見解によって、〔自らについて〕『完全である』〔と見る〕彼は、〔我想の〕思量によって驕慢した者であり、〔自らについて〕『円満成就した者である』と思量する者です。まさしく、自ら、自らについて、〔自らの〕意で灌頂しているのです(自らを自らの手で王位に就けている)。なぜなら、彼にとって、その見解は、そのように、〔彼にとってだけは〕完全であるからです。(12)

偈 890もし、まさに、他者の言葉によって、〔人が〕劣る者と〔成るなら〕、〔その他者〕自身も、〔別の他者の言葉によって〕共に智慧の劣る者と成ります。そこで、もし、自ら〔自分勝手に〕、〔真の〕知に至る者と成り、慧者と〔成るなら〕、誰であれ、沙門たちのうちに、愚者は存在しなくなります。(13)

偈 891『彼らが、これ(自説)より他の法(見解)を宣説するなら、彼らは、清浄に反する者たちであり、全一者たちではない』〔と〕、このように、また、異教の者たちは、個々それぞれに〔自説を〕説きます。まさに、彼らは、自らの見解にたいする貪り〔の思い〕に染まった者たちです。(14)

偈 892〔彼らは〕『まさしく、ここ(自説)に、清浄がある』と説きます。他者の諸々の法(見解)について、清浄を言いません。このように、また、異教の者たちは、個々それぞれに〔思いが〕固着し、自らの道において、そこにおいて、断固として〔自らの正しさを〕説いているのです。(15)

偈 893あるいは、また、自らの道において、断固として〔自らの正しさを〕説いている者が、ここにおいて、どうして、他者を、『愚者である』と決め付けられるというのでしょう。彼は、まさしく、自ら、〔他者とのあいだに〕確執をもたらすでしょう⸺他者を、清浄ならざる法(見解)の愚者と説きつつ。(16)

偈 894〔断定的〕判断に立脚して、自ら、〔独善的に〕思量して、その上で、彼は、世において、〔無益な〕論争に至ります。〔しかしながら〕一切の〔断定的〕判断を捨棄して、〔真の慧者たる〕人は、世において、〔一切にたいし〕確執を為さないのです」〔と〕。ということで⸺(17)

小さなまとまりの経が第十二となり、〔以上で〕終了となる。

この杜による要点

本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。

対応する本文へ 問う人が尋ねた。互いに自分の見解に固まった人々は、種々にしがみついて自分を智者と言います。「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人は完全ではない」と。

対応する本文へ このようにしがみついて論争し、「他人は愚かで智者ではない」と言います。この人々のうち、どの論が真理なのですか。皆が自分を智者と言っています、と。

対応する本文へ 他人の教えを認めない人が愚かで智慧が劣るというなら、各自の見解に固執する人は全員、愚かで智慧が劣ることになる、とブッダは応じる。

対応する本文へ 自分の見解によって清らかになることはない。もし彼らが清らかな智慧の智者だというなら、誰も劣った者ではなくなる。彼らの見解はそれぞれにとって完全だからである。

対応する本文へ 互いを愚かと呼ぶ言葉を、私は正しいとは言わない。人々はそれぞれ自説を真理に仕立て、他人を愚かと決めつける、と説く。

対応する本文へ 問う人が尋ねた。ある人々が「真理だ、真実だ」と言うものを、他の人々は「虚妄だ、偽りだ」と言います。こうしてしがみついて論争します。なぜ修行者たちは一つのことを説かないのですか、と。

対応する本文へ ブッダは答えた。真理は一つで、二つ目はない。人々がそれを知っていれば論争しないだろう。知らない人々が種々の真理を自分勝手に唱える。だから迷える修行者たちは一つのことを説かない。

対応する本文へ 問う人が尋ねた。自分を智者と言う論争好きの人々は、なぜ真理を種々に説くのですか。真理は人づてに聞いたものとして種々あるのですか。それとも自説を真理と思い込んでいるのですか、と。

対応する本文へ 知覚から離れて世に永続する、多数の異なる真理があるわけではない。人々は見解について考えを組み立て、真と偽の二つを言い立てる、と答える。

対応する本文へ 見られたもの、聞かれたもの、戒や掟、思われたものに頼って他人を見下す人がいる。断定に立って人を嘲笑し、「他人は愚かで智者ではない」と言う。

対応する本文へ 他人を愚か者と決めつけることで、自分を智者と言う。自分で自分を智者と言いながら、一方的に他人を見下し、自説を独善的に説く。

対応する本文へ 誤った見解によって自分を完全と見るその人は、慢心でおごり、自分を円満な者と思う。自分で自分に王冠をかぶせているようなものだ。その見解は、その人にとってだけ完全だからである。

対応する本文へ 他人の言葉によって人が劣った者になるなら、その他人も別の人の言葉で劣った者になる。自分勝手に真の知に至った賢者となれるなら、修行者の中に愚か者はいなくなる。

対応する本文へ 「自説と異なる見解を説く人々は清らかさに反し、完全ではない」と、他の教えの人々はそれぞれに説く。彼らは自分の見解への貪りに染まっている。

対応する本文へ 「自説にこそ清らかさがある」と説き、他の見解に清らかさを認めない。他の教えの人々はそれぞれに固まり、自分の道で断固として自分の正しさを説く。

対応する本文へ 自分の道で断固として自分の正しさを説く人が、どうして他人を愚か者と決めつけられよう。他人を清らかでない愚か者と説けば、自ら確執をもたらす。

対応する本文へ 断定に立ち、独善的に思い上がって、人は世で論争に至る。しかしすべての断定を捨てた人は、世で誰とも確執を作らない。

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収録した訳と出典

日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。

訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。

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