スッタニパータ「自己の棒の経」
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日本語訳の本文
4.15. 自己の棒の経
vns941偈 935〔対話者に、世尊は答えた〕「自己の棒(暴力)から、恐怖が生じたのです。見なさい⸺確執ある人々を。〔まさに、その〕畏怖〔の思い〕を、〔あなたたちに〕述べ伝えましょう⸺わたしが、〔世の苦しみを〕畏怖した、そのとおりに。(1)
vns942偈 936あたかも、水少なきところの魚たちのように震えおののいている人々を見て、互いに他の者たちと〔敵対し〕反目する者たちを見て、わたしを、恐怖〔の思い〕が侵しました。(2)
vns943偈 937世は、遍きにわたり、真髄なく〔常住ならざるもの〕。一切の方角は、動揺し〔常住ならざるもの〕。自己の居所を求めつつ、〔苦しみに〕取り憑かれていないところを、〔ついに〕見ませんでした。(3)
vns944偈 938まさしく、しかし、最後には〔互いに敵対し〕反目する者たちを見て、わたしに、満たされない〔思い〕が有りました。そこで、ここにおいて、〔わたしは〕矢を見ました⸺心臓(心)に依拠する、〔凡夫には〕見難き〔矢〕を。(4)
vns945偈 939その矢に貫かれた者は、一切の方角に走ります。まさしく、その矢を引き抜いて、〔貪りの思いで〕走らず、〔欲の激流に〕沈みません。(5)
vns946偈 940そこにおいて、諸々の学び(学芸)が随説されるも、それらが、世において、諸々の拘束されたもの(執着の対象)としてあるなら、それらを追い求める者として存さないように。諸々の欲望〔の対象〕を、全てにわたり〔あるがままに〕洞察して、自己の涅槃を学ぶように。(6)
vns947偈 941真理の者として存するように。尊大ならず、幻惑〔の策略〕なく、中傷〔の思い〕から遠ざかった者として〔存するように〕。忿激しない者となり、貪欲の悪を、物欲〔の思い〕(物惜の心)を、牟尼として超え渡るように。(7)
vns948偈 942眠気と倦怠と〔心の〕沈滞(昏沈)を打ち負かすように。怠り(放逸)と共に住まないように。涅槃の意ある人となり、高慢〔の思い〕に止住しないように。(8)
vns949偈 943虚偽の言葉に導かれないように。形態にたいし愛執〔の思い〕を為さないように。そして、〔我想の〕思量を遍く知るように。無理強い〔の性行〕から離れた者となり、〔世を〕歩むように。(9)
vns950偈 944古いものを喜ばないように。新しいものにたいし愛着〔の思い〕を為さないように。失われつつあるものについて憂い悲しまないように。惹き付けるもの(渇愛の思い)に依存する者として存さないように。(10)
vns951偈 945〔わたしは〕貪求〔の思い〕を、『大いなる激流』と説きます。〔欲望の〕奔流を、渇望〔の思い〕を、〔『大いなる激流』と〕説きます。〔欲望の〕対象(所縁:欲望の対象として想い描かれた認識対象)を、〔対象の〕妄想(遍計:認識対象を欲望の対象として想い描く心の働き)を、『超え難き欲望の汚泥』〔と説きます〕。(11)
vns952偈 946牟尼は、真理から外れずして、〔真の〕婆羅門は、陸地に立ちます。彼は、一切を放棄して、彼は、まさに、『寂静者』と説かれます。(12)
vns953偈 947彼は、まさに、知ある者です。彼は、〔真の〕知に至る者です。法(真理)を知って、依存なき者となります。彼は、世において、正しく振る舞う者です。この〔世において〕、誰をも羨みません。(13)
vns954偈 948彼は、この〔世において〕、諸々の欲望〔の対象〕を超え渡ったのであり、世における超え難き執着〔の思い〕を〔超え渡ったのであり〕、彼は、〔もはや〕憂い悲しまず、悩みません⸺〔渇愛の〕流れを断ち切った、結縛なき者となり。(14)
vns955偈 949それが、過去にあるなら、それを、干上がらせなさい。未来において、あなたには、何も有ってはなりません。もし、〔その〕中間(現在)において、〔何も〕収め取らないなら、〔あなたは〕寂静なる者となり、〔世を〕歩むでしょう。(15)
vns956偈 950彼に、全てにあまねく、名前と形態(名色:現象世界)について、わがものと〔錯視〕されたもの(執着の対象)が存在しないなら、そして、〔彼は〕所有するものがないので、〔もはや〕憂い悲しまず、彼は、まさに、世において、〔何も〕失いません。(16)
vns957偈 951彼に、『これは、わたしのものである』という〔思いが〕、あるいは、また、『他者たちのものである』〔という思いが〕、何も存在しないなら、彼は、〔自らの心中に〕我執〔の思い〕を見出すことなく、『わたしには、〔何も〕存在しない』と憂い悲しみません。(17)
vns958偈 952嫉視なく、貪求なく、動揺なく、〔一切にたいし〕一切所に等しくあります。〔心が〕動かない者のことを尋ねられたなら、それを、福利として、〔わたしは〕説きます。(18)
vns959偈 953〔心に〕動揺なく、〔あるがままに〕識知している者に、作為〔の思い〕は、何であれ、存在しません。〔作為の〕勉励から離れた彼は、一切所に平安を見ます。(19)
vns960偈 954牟尼は、等しい者たちのなかで〔論を説き〕ません。卑下している者たちのなかで〔論を説き〕ません。増長している者たちのなかで〔論を〕説きません。彼は、寂静なる者です。物惜〔の思い〕を離れた者です。〔特定の何かを、執着の対象として〕執取せず、〔排除の対象として〕放棄しません」〔と〕。ということで⸺(20)
自己の棒の経が第十五となり、〔以上で〕終了となる。
この杜による要点
本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。
対応する本文へ 武器を取ることから恐れが生じる。争い合う人々を見よ。私がどのように切迫した思いを抱いたかを語ろう、とブッダは言う。
対応する本文へ 水の少ない所の魚のように震える人々、互いに敵対し反目する人々を見て、私を恐れが襲った。
対応する本文へ 世はどこも実のないもの、あらゆる方角が揺れ動く。自分の居場所を求めても、苦しみに取りつかれていない所は見つからなかった。
対応する本文へ 最後には反目し合う人々を見て、私に満たされない思いが生じた。そこで私は、心臓に刺さった、凡人には見えにくい矢を見た。
対応する本文へ その矢に貫かれた人は、あらゆる方角へ走る。その矢を引き抜けば、走ることなく、沈むこともない。
対応する本文へ そこで学芸が説かれても、世で執着の対象になるものなら追い求めないように。欲望の対象をすべて見通して、自分の安らぎを学べ。
対応する本文へ 真実の人であれ。尊大でなく、惑わしなく、中傷から遠ざかった人であれ。怒らず、貪りの悪と物惜しみを、聖者として渡れ。
対応する本文へ 眠気と倦怠と心の沈みを打ち負かせ。怠りと同居するな。安らぎを志す人となり、高慢に留まるな。
対応する本文へ 嘘に導かれず、形あるものに愛執せず、慢心を知り尽くし、無理強いを離れて歩め。
対応する本文へ 古いものを喜ばず、新しいものに愛着せず、失われつつあるものを嘆かず、引きつける渇愛に頼らないように。
対応する本文へ 貪りを大きな激流、渇望をその流れと説く。欲望へのよりどころや思い込みは、抜け出しがたい欲の泥となる。
対応する本文へ 聖者は真実から外れず、真の聖者は陸地に立つ。すべてを放棄した人は、静まった人と説かれる。
対応する本文へ その人は知ある人、真の知に至った人である。真理を知って何にも頼らず、世で正しく振る舞い、この世で誰もうらやまない。
対応する本文へ 欲の楽しみと越えがたい執着を渡った人は、嘆かず、追い求めない。流れを断ち、束縛を離れている、と説く。
対応する本文へ 過去にあるものを干上がらせよ。未来にあなたのものは何もないように。現在において何も取り込まなければ、静まった人として歩むだろう。
対応する本文へ 心と形あるもののどこにも「わがもの」がなく、持たないがゆえに嘆くことのない人は、世で何も失わない。
対応する本文へ 「これは私のもの」「あれは他人のもの」という思いが何もない人は、我執を見出すことなく、「私には何もない」と嘆かない。
対応する本文へ 妬まず、貪らず、動揺せず、すべてに対して等しくある。動じない人について尋ねられたら、それを益として説く。
対応する本文へ 動揺なくありのままに知る人には、作為の思いが何もない。作為の励みから離れたその人は、あらゆる所に平安を見る。
対応する本文へ 聖者は自分を等しい・劣る・勝ると語らない。静まり、物惜しみを離れ、何かをつかみも退けもしない、と説く。
収録した訳と出典
日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。
訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。