スッタニパータ「清浄についての八なるものの経」
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日本語訳の本文
4.4. 清浄についての八なるものの経
vns794偈 788「〔わたしは〕見る⸺清浄で、無病で、最高なる者を。見られたものによって、人の清浄は有る」〔と〕、このように、〔自己の観点で〕証知しながら、「〔これこそ〕最高である」と〔自分勝手に〕知って、清浄を随観する者は、かくのごとく、知恵を信受する(盲信する)。(1)
vns795偈 789もし、見られたものによって、人の清浄が有るなら、あるいは、知恵によって、彼が苦を捨棄するなら、彼は、依り所(依存の対象)を有する者であり、〔自己ではない〕他のものによって清まる〔ことになる〕。なぜなら、〔他のものである、彼の〕見解は、彼のことを、そのように〔形だけで〕説いている者と、〔自ら〕説くからである。(2)
vns796偈 790見られたものについて、聞かれたものについて、戒や掟(執着の対象に成り下がった宗教行為)について、あるいは、思われたもの(我執の思いで対象化され他者化した認識対象)について、〔真の〕婆羅門(人格完成者)は、「〔事実ならざる〕他のものである」と〔見て〕、清浄を言わない。かつまた、善(功徳)についても、かつまた、悪(功徳なきもの)についても、〔両者ともに〕汚されない者は、自己を捨棄する者であり、この〔世において〕、〔執着の思いを〕作り為さずにいる。(3)
vns797偈 791前の〔教師や教義〕を捨棄して、他の〔教師や教義〕に依存する者たち⸺動揺〔の思い〕に従い行く彼らは、〔自らの〕執着〔の思い〕を超えない。彼らは、〔特定の何かを、執着の対象として〕執持し、〔排除の対象として〕放棄する⸺猿が、枝を掴んでは放つようなもの。(4)
vns798偈 792諸々の掟を、自ら受持して、人は、〔特定の〕表象(想:概念・心象)に執着し、〔迷いのままに〕高下に赴く。しかしながら、知ある者は、諸々の知によって法(真理)を行知して、広き智慧ある者となり、高下に赴かない。(5)
vns799偈 793あるいは、見られたもの、聞かれたもの、あるいは、思われたもの、それが何であれ、彼は、一切の法(事象)にたいし、敵視という有り方を離れている。このように見る者である彼を、〔迷妄の覆いが〕開かれた者として〔世を〕歩んでいる者を、ここに、〔この〕世において、〔いったい、誰が〕何によって、想い描くというのだろう(執着の対象を想い描くことがない者は、執着の対象として想い描かれることもない)。(6)
vns800偈 794〔特定の何かを〕想い描かず、〔特定の何かを〕偏重せず、彼ら(智慧ある者たち)は、「〔これこそ〕究極の清浄である」と説かない。〔執着の思いで〕拘束された執取の拘束(執着の対象)を捨てて、世において、どこにも、〔自分勝手な〕願望を作らない。(7)
vns801偈 795〔執着の対象として〕執持されたものを、あるいは、〔あるがままに〕知って、あるいは、〔あるがままに〕見て、〔世の〕罪悪を超え行く婆羅門⸺彼には、〔執着の対象が〕存在しない。〔彼は〕貪り〔の対象〕を貪る者でもなく、離貪〔の思い〕に染まった者でもない。彼には、この〔世において〕、「〔これこそ〕最高である」〔と〕執持されたもの(執着の対象)が存在しない。ということで⸺(8)
清浄についての八なるものの経が第四となり、〔以上で〕終了となる。
この杜による要点
本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。
対応する本文へ 「清らかで病なく最高の人を見る。見られたものによって人の清らかさがある」と自分の観点で確信し、「これこそ最高」と知って清らかさを観る人は、こうして知恵を盲信する。
対応する本文へ 見られたものによって人が清まるなら、知恵によって苦しみを捨てるなら、その人は頼るものを持ち、自分でない他のものによって清まることになる。見解はその人を、形だけでそう説く者だと自ら明かすからである。
対応する本文へ 真の聖者は、見聞きしたもの、考えたこと、戒や誓いといった他のよりどころによって清まるとは言わない。善悪に執着せず、つかんだものを手放し、新たな執着を作らない。
対応する本文へ 前の師や教義を捨てて別のものに頼る人々は、動揺に従い、執着を越えない。猿が枝をつかんでは放すように、何かをつかんでは放す。
対応する本文へ 掟を自ら受け持った人は、特定の表象に執着して、迷いのままに浮き沈みする。しかし知ある人は、知によって真理を知り、広い智慧を持って浮き沈みしない。
対応する本文へ 見られたものも聞かれたものも思われたものも、何であれ、その人はすべての事象に敵意を持たない。このように見て、覆いが開かれたまま世を歩む人を、誰が何によって思い描けるだろう。
対応する本文へ 智慧ある人々は何かを思い描かず、偏重せず、「これこそ究極の清らかさ」と説かない。執着の縛りを捨て、世のどこにも勝手な願望を作らない。
対応する本文へ 境界を越えた真の聖者には、知ったことや見たことをつかむ執着がない。貪りにも離貪にも染まらず、何も最高だとして抱え込まない。
収録した訳と出典
日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。
訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。