スッタニパータ「ナンダ学徒の問い」
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日本語訳の本文
5.8. ナンダ学徒の問い
vns1083偈 1077かくのごとく、尊者ナンダが〔尋ねた〕「『世において、諸々の牟尼が存在する』〔と〕、〔世の〕人たちは説きます。いったい、彼らは、このことを、どのように〔説くのですか〕。さてまた、知恵を具有した者を、牟尼と説くのですか。それとも、まさに、〔何らかの〕生き方を具有した者を、〔牟尼と説くのですか〕」〔と〕。(1)
vns1084偈 1078〔世尊は答えた〕「見解によって〔説か〕ず、伝承によって〔説か〕ず、知恵によって〔説か〕ず⸺ナンダよ、牟尼たちのことを、この〔世において〕、智者たちが説くとして。煩悶なく願望なく、〔一切にたいし〕敵視を為さずして〔世を〕歩むなら、すなわち、彼らを、『牟尼たちである』と、〔わたしは〕説きます」〔と〕。(2)
vns1085偈 1079かくのごとく、尊者ナンダが〔尋ねた〕「彼らが誰であれ、これらの沙門や婆羅門たちは、見られたものや聞かれたものによってもまた、清浄〔の境地〕を説きます。戒や掟によってもまた、清浄〔の境地〕を説きます。〔その他〕無数なる形態によって、清浄〔の境地〕を説きます。世尊よ、どうでしょう、まさに、彼らは、そこにおいて、〔自己を〕制した者たちとして〔世を〕歩みながら、敬愛なる方よ、そして、生を、さらに、老を、超えたのですか。世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」〔と〕。(3)
vns1086偈 1080かくのごとく、世尊は〔答えた〕「ナンダよ、彼らが誰であれ、これらの沙門や婆羅門たちは、見られたものや聞かれたものによってもまた、清浄〔の境地〕を説きます。戒や掟によってもまた、清浄〔の境地〕を説きます。〔その他〕無数なる形態によって、清浄〔の境地〕を説きます。たとえ、何であれ、彼らは、そこにおいて、〔自己を〕制した者たちとして〔世を〕歩むも、『生と老を超えてはいない』と、〔わたしは〕説きます」〔と〕。(4)
vns1087偈 1081かくのごとく、尊者ナンダが〔尋ねた〕「彼らが誰であれ、これらの沙門や婆羅門たちは、見られたものや聞かれたものによってもまた、清浄〔の境地〕を説きます。戒や掟によってもまた、清浄〔の境地〕を説きます。〔その他〕無数なる形態によって、清浄〔の境地〕を説きます。牟尼よ、もし、彼らを、激流を超えざる者たちと〔あなたが〕説くなら、そこで、それでは、誰が、天〔の神々〕と人間たちの世において、敬愛なる方よ、そして、生を、さらに、老を、超えたのですか。世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」〔と〕。(5)
vns1088偈 1082かくのごとく、世尊は〔答えた〕「ナンダよ、わたしは、『全ての沙門や婆羅門たちが、生と老に覆われている』と説くのではありません。彼らが、まさに、この〔世において〕、あるいは、見られたものを〔捨棄して〕、聞かれたものを〔捨棄して〕、あるいは、思われたものを〔捨棄して〕、あるいは、また、一切の戒や掟を捨棄して、一切の無数なる形態をもまた捨棄して、渇愛を遍く知って、煩悩なき者たちとなるなら、『彼らは、まさに、人として、激流を超えた者たちである』と、〔わたしは〕説きます」〔と〕。(6)
vns1089偈 1083〔尊者ナンダが言った〕「偉大なる聖賢の、この言葉を、〔わたしは〕大いに喜びます。ゴータマよ、依り所なき〔境地〕が、見事に述べ伝えられました。彼らが、まさに、この〔世において〕、あるいは、見られたものを〔捨棄して〕、聞かれたものを〔捨棄して〕、あるいは、思われたものを〔捨棄して〕、あるいは、また、一切の戒や掟を捨棄して、一切の無数なる形態をもまた捨棄して、渇愛を遍く知って、煩悩なき者たちとなるなら、『彼らは、激流を超えた者たちである』と、わたしもまた説きます」〔と〕。ということで⸺(7)
ナンダ学徒の問いが第七となり、〔以上で〕終了となる。
この杜による要点
本文の下の「要点」は、パーリ語本文と対訳を参照し、この杜が自分の言葉でまとめたものです。訳文の引用ではなく、読み方の一つの手がかりとしてお読みください。語の解釈が複数ある箇所では、掲載訳と要点の読み方が異なることがあります。
対応する本文へ 尊者ナンダが尋ねた。「世に聖者たちがいる」と人々は言います。どういう意味でそう言うのですか。知恵を備えた人を聖者と言うのですか。それとも、ある生き方を備えた人を聖者と言うのですか、と。
対応する本文へ 世尊は答えた。ナンダよ、智者たちは見解や伝承や知恵によって聖者を説くのではありません。悩みも願望もなく、誰にも敵意を向けずに世を歩む人、その人を私は聖者と説きます、と。
対応する本文へ 尊者ナンダが尋ねた。沙門や聖職者たちは、見たもの聞いたものによって、戒や掟によって、その他さまざまなものによって清らかさを説きます。世尊よ、その中で自分を制して歩む彼らは、生と老いを越えたのですか、と。
対応する本文へ 世尊は答えた。ナンダよ、沙門や聖職者たちは、見たもの聞いたもの、戒や掟、その他さまざまなものによって清らかさを説きます。その中で自分を制して歩んでも、彼らは生と老いを越えてはいないと、私は説きます、と。
対応する本文へ 尊者ナンダが尋ねた。見たもの聞いたもの、戒や掟、さまざまなものによって清らかさを説く彼らが激流を渡っていないなら、神々と人間の世で、いったい誰が生と老いを越えたのですか。世尊よ、それを説いてください、と。
対応する本文へ 世尊は答えた。ナンダよ、すべての沙門や聖職者が生と老いに覆われていると言うのではありません。見たもの聞いたもの思ったもの、戒や掟、その他すべてを捨て、渇愛を知り尽くして煩悩のない人々こそ、激流を渡った人だと説きます、と。
対応する本文へ 尊者ナンダが言った。その言葉を大いに喜びます。ゴータマよ、依り所のない境地が見事に説かれました。見聞きし思ったもの、戒や掟、その他すべてを捨て、渇愛を知り尽くした煩悩なき人々こそ激流を渡った人だと、私も思います、と。
収録した訳と出典
日本語訳:関西パーリ語実習会(2023年公開版)。公開元:SuttaCentral。全5章・70経と序・結び、巻末の21詩を収録版の73単位で掲載。
訳文の文字・補足を保ち、ふりがなをこの杜が読書の補助として添えています。この杜による要点は、訳文と分けて掲載しています。